【市川ちょっと話】市川で誕生したサード長嶋

コラム

こんにちは。フリースタイル市川のノスタルジー鈴木です。

当サイトには、フリースタイル市川の活動紹介記事の他、コラムと題した文章も掲載しています。

単発の「コラム」の他、シリーズものとして、市川市のキラリと光る個性的なローカルメディアを紹介する「ローカルメディア漫遊記」※1というものもあります。

そして、今新たに立ち上がった「市川ちょっとばなしは、「コラム」の新シリーズです※2。フリスタのメンバーが気になっている市川市にまつわる事項のうち、あまり広くは知られていないのではないかと思われるモノ・コト・人物などを取り上げる短文です。知らなくても問題はないけれど、知ると、「市川市って面白い場所だな」、「市川市に40年以上住んでいるけれど知らないことが多いな」などと思えるかもしれません。

それでは、さっそく、「市川ちょっとばなし」の第1回、『市川で誕生したサード長嶋』を、お楽しみください。

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国民的なスーパースター、長嶋茂雄さん。選手時代、読売ジャイアンツの中心打者として大活躍した長嶋さんは、ミスター・ジャイアンツ、ミスター・プロ野球とも呼ばれ、プロ野球の象徴的な存在でした。

ミスターといえば、ミスター・ドーナツ※4やミスター・チルドレン※5、ミスター・ビッグ※6といった有名どころもありますが、単にミスターといった場合は、長嶋さんのこと、という前提が広く共有されている稀有な人物です。

今、「長嶋さんと市川市にどんな関係があるの?」と思いましたね。私にはお見通しです。関係があるのです。

今からさかのぼること69年前の一昨日(6月14日)の出来事です。

1953(昭和28)年6月14日、市川市東菅野4の私立市川高グラウンドで「サード長嶋」は誕生した。

出所:「毎日新聞」地方版 2013年6月11日

市内では市学と呼ばれて親しまれている、学校法人市川学園の中高一貫の学園のうちの高等学校が、市川高校です。市川高校のグラウンドが、「サード長嶋」誕生の地なのです。

長嶋さんといえば、勝負強い打撃、自分自身をノックアウトせんばかりの弩迫力な空振り、そして、ダイナミックかつ流麗なサード守備がよく知られています。

長嶋茂雄さんの華麗なサードの守備の様子。なお、これは現役引退から9年ほどが経過したプロ野球OB戦での守備の様子です(後ろに見えるショートの選手の体型を見ればOB戦であることが何となくわかるでしょうか)。長嶋さん、軽やか!

市川高のグラウンドで「サード長嶋」が誕生するまでに、どのような経緯があったのか、新聞記事から紹介します。

華麗なフットワークで三塁ゴロをさばく長嶋さん。オールドファンの目に焼きついているシーンだ。だが、中学入学から高校3年の6月までは遊撃手だった。

長嶋さんは高校3年の春、毎試合のようにエラー。正面のゴロを捕球するために下半身を低くしなければならないのに、3年になって身長が177センチに伸びて、姿勢が「腰高」になっていた。守備の悩みから、打撃までも不振になった。「四番で主将の守備位置を代えるのは賭けだ。チームと本人への影響が大きい」。加藤さんは悩んでいた。

53年6月14日。市川高グラウンドで練習試合があり、長嶋さんは1試合目の県立船橋高戦で4失策。チームも2-5で敗れてしまった。「限度だ」。加藤監督はついに決断し、25分後に始まった2試合目の市川戦から、ショートの長嶋さんとサードの鈴木さんを入れ替えた。

出所:「毎日新聞」地方版 2013年6月11日

この日(1953年6月14日)、長嶋さんの県立佐倉一高(千葉県佐倉市。現在の県立佐倉高校)は、市川高校のグラウンドで行われた、市川高校、県立船橋高校(千葉県船橋市)※7との練習試合に参加していました。

変則ダブルヘッダーの「佐倉一高」対「船橋高」で、「ショート長嶋」はクビになり、「佐倉一高」対「市川高」が「サード長嶋」のスタートになったというわけです。

上記の通り、高校3年生になって高身長となったことで、ショートの守備で失策が増えたことが、サードへのコンバートの大きな原因であることに間違いはないのですが、市川高のグラウンドが、歴史的な現場となった理由には、ある動物(長嶋さんがよく用いる語で言えば「アニマル」※8)が関係していた、との説もあります。

「長嶋さんは、他の遊撃手より1メートルぐらい深い位置に立っていた。そこは農道で牛が通ったから、何度グラウンド整備してもイレギュラーバウンドしたんですよ」

市川高の二塁手だった小坂透さんは意外な証言をした。

太平洋戦争終戦からわずか8年。現在、グラウンドの周囲は住宅地だが、当時はナシ畑だった。二塁と三塁の後方を農道が走っていて、農機具を引いた牛が毎日、朝夕に牛舎と農地を往復していた。加藤さんは「(長嶋さんの)エラーは春先から続いていた。イレギュラーのせいじゃないですね」と言うが、牛が「サード長嶋」誕生に一役買ったとも言える

出所:「毎日新聞」地方版 2013年6月11日(水色の線は筆者による)

以上、市川市で「サード長嶋」が誕生した、というエピソードでした。

最後に、市川市に縁のある、ミュージシャンにして野球関連書籍の執筆者でもある、オカモト“MOBY”タクヤさん※9のブログの文章を紹介します。

その第二試合の相手が、ボクの母校、市川高校。

しかも球場は市川高校グラウンド。

ボクは軟式野球部だったのだが、硬式野球部と同じグラウンド(現在は新校舎が建ち跡形もない)。

日本の野球史に於ける転換点となった場所で、ボクと仲間達は同じ汗を流していたのか。

出所:『母校での伝説 / 11月の旅・広島編』、「MOBYのブログ」2013年11月2日、https://moby.hatenablog.com/entry/20131102/1387093714

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今日スタートした「コラム」の新シリーズ「市川ちょっと話」では、必ずしも多くの市川市民が知っているわけではない、ちょっと面白い話を紹介していきます。

「まちづくりNPO」であるフリースタイル市川のWebサイトに、どうしてそんな話を載せるの?とお思いの方もいるかもしれませんね。このコラムそのものが「まちづくり」に直接関わるものとは言えない、それはその通りでしょう。せいぜい、市川パースン※10同士で話をしているときに、「この話、知ってる?」という風に切り出して、「市川ちょっと話」の内容を喋って、市川話いちかわ ばなしで盛り上がることができる、その程度だとは思います。が、その程度の小さなコミュニケーションがたくさん生まれることも、「まちづくり」にとって、大切なのではないかと思うのです。

今後、「市川ちょっと話」で取り上げる構えがあるものは、今のところ、次の通りです。

  • 市川市にあった競馬場
  • 市川市にあった人車鉄道
  • 市川市にあった県庁所在地

それでは、次回の「市川ちょっと話」でお会いしましょう。ノスタルジー鈴木でした。

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〈注釈〉

※1:「ローカルメディア漫遊記」は、現時点(2022年6月16日)で、以下の8つの記事が公開されています。

  1. 『クラナリ』は名を与える
  2. 多彩な鳥が飛ぶ『鳥爺残日録』
  3. 『イチカワニヒトツマミ』で遊び心を取り戻す
  4. 100円画材で『市川市を絵で描く』
  5. 『Gyo-Log』で行徳ウォーキング
  6. 本八幡のグルメ(だけじゃない!)『モトグル!』
  7. 『Deepランド』で宝石さがし
  8. 『まちメモ市川駅版』の写真と同じ景色が見たい

※2:本シリーズ※3を「市川ちょっと話(ばなし)」という名称に決定する前、「市川スモールトーク」というものを考えていましたが、却下しました。ただし、この案がなければ、「市川ちょっと話」というシリーズ名が生まれていなかった可能性が高いという意味では、「市川スモールトーク」は重要な役割を果たしたとも言えます(スモールトークは、ちょっとした話というニュアンスを持つ語であることから、ちょっと話というタイトルを思いつきました)。

※3:ところで、「本シリーズ」と書くと、「日本シリーズ」を想起します。
長嶋茂雄さんは「日本選手権シリーズ」と言うことが多いようです(近年、日本シリーズを「日シリ」と略す人がいます。正式名称を用いる長嶋さんとは対照的な表現ですね)。その長嶋さん、日本シリーズでは4回もMVPを獲得しています。しばしば、大舞台に強い男と言われますが、最も注目される試合の1つである日本シリーズで活躍したのが長嶋さんでした。なお、注目度でいえば日本シリーズに引けを取らない「開幕戦」でも長嶋さんは活躍しています。有名なのは1年目(1958年)の開幕戦、国鉄スワローズのエースにして日本球界で最多の通算400勝をあげた投手として知られる金田正一投手を相手に、完敗となる4打席4三振を喫した試合ですが、通算17回出場した開幕戦で、長嶋さんは10本のホームランを打っています(世界最多)。
なお、公式戦1試合目で大投手である金田さんの前に完敗した1年目の長嶋さんは、夏には「打撃の神様」川上哲治選手に代わってジャイアンツの4番に座り、チームを牽引してリーグ優勝を果たしました(1年目の長嶋さんは、ホームラン、打点、安打数、二塁打、得点がリーグ1位、盗塁、三塁打、打率がリーグ2位という大活躍でした。しばしば長嶋さんは通算でも年次でも打撃成績が傑出しているわけではないと指摘されることがありますが、単一の指標や、打者という一面だけでは計れないものがあります。走攻守の全てが一流で、何度もチームを日本一に導き、ファンにも最も愛されたということから、ミスター・プロ野球という愛称というか称号がふさわしい人物です)。
1年目の最後の打席は、日本シリーズで、3連勝した後に西鉄ライオンズに3連敗して迎えた最終第7戦の9回、エース稲尾和久投手から放った、焼け石に水のランニング・ホームランでした。快足を飛ばした長嶋さんは楽にホームインできるタイミングであるにもかかわらず、スライディングしてホームイン。やけくそだったと長嶋さんは語っていましたが、ライオンズのショートを守っていた豊田泰光選手は、これを見て、思わず笑ってしまったそうです(呆れ、そして感心して)。豊田さんは、長嶋さんのプレイの華やかさに、この人物は必ずプロ野球を変えるだろう、と予感したそうです。その華やかなプレイを「長嶋はプロ野球を白黒の世界から総天然色(フルカラー)に変えた」と称した人がいますが、言い得て妙だと思います。

※4:「ミスタードーナツ(英語: Mister Donut)」は、〈アメリカ発祥のドーナツチェーンのブランド〉で、〈日本での略称は「ミスド」。1971年に日本での事業を開始しており、ケンタッキーフライドチキンやマクドナルドなどと同じく、日本国内では最も早い時期に営業を開始したフード系フランチャイズチェーンにして、最大規模のドーナツチェーン店である。ドーナツを主力商品とするが、それ以外のさまざまな食品も扱うファストフード店として知られる。全店舗のうち直営店は少数で、大半の店舗がフランチャイズ店として運営される〉。(Wikipediaより)

※5:「Mr.Children(ミスター・チルドレン)」は、〈日本の4人組ロックバンド〉で、〈レコード会社はトイズファクトリー。1989年に結成。略称および愛称は「ミスチル」。公式ファンクラブは「FATHER & MOTHER」〉(Wikipediaより)。ミスチルのメジャー・デビューは1992年、つまり、今から30年前です。

※6:本文中で挙げた「MR.BIG(ミスター・ビッグ)」は、〈1989年にデビュー、2002年に解散、2009年に再結成したアメリカのロックバンド〉(Wikipediaより)のことですが、イギリスにも同名のロックバンドが存在するそうです。また、2012年6月20日にリリースされた田原俊彦さんの63作目のシングルの曲名も「MR.BIG」です。

※7:千葉県立船橋高校の所在地は、JR東船橋駅の南側で、同駅の北側には、スポーツで有名な船橋市立船橋高等学校があります。長嶋さんが1試合4失策を喫した試合の相手は、市立ではなく県立の船橋高校でした(「フナコウ」とも呼ばれますが、「イチフナ」に対して「ケンフナ」とも呼ばれています。なお、「ケンカナ」とは、2019年に米米CLUBのホーンセクションBIG HORNS BEEに加入した、サックス、フルート、ボサノヴァ・ギターの演奏者、石川周之介さん(ステージネームは「石川県金沢」)の米米ファンからの呼称(石川県金沢を略して「ケンカナ」)です)

※8:1993年、千葉ロッテマリーンズの伊良部秀輝投手がなぜ「伊良部クラゲ」と呼ばれるのかを記者に尋ねた長嶋さんが、その理由(速球派として知られた伊良部投手に抑えられて敗れた日本ハムファイターズの大沢啓二監督が、「幕張の浜で伊良部クラゲに刺された」と言ったこと)を聞いた時、「シーサイドのアニマルですか」と言ったそうです。なお、大沢さんは長嶋さんにとっては立教大学野球部の1学年上の先輩で、大学卒業後は南海ホークスに入団しました。

※9:「オカモト“MOBY”タクヤ」さんの地元は市川市の本八幡で、出身高校は市川高です。ファンク・バンド、SCOOBIE DO(スクービードゥー)のドラム担当で、1976年7月6日生まれ、ということは、ノスタルジー鈴木を含むフリスタの複数のメンバーズと同学年ですね!そんなMOBYさんには、MLB(メジャー・リーグ・ベースボール)のコメンテーターの顔もあり、2022年5月には、『ベースボール・イズ・ミュージック! 音楽からはじまるメジャーリーグ入門』(左右社)という書籍を発売しています。

※10:市川パースンとは、市川市民だけでなく、元・市川市民、市川市で働いている人、市川市の学校で学んでいる人、市川市が好きで頻繁に訪問しては飲食店を漫遊してエンジョイしている人※11などを含む、市川市に関わりのある人(パースン)を指す語です。

※11:市川市が好きで頻繁に訪問しては飲食店を漫遊してエンジョイしている人としては、週末八幡botさんがよく知られています。