【コラム】戦後77年、家族のもとに帰還した日章旗

コラム

先日、所用で市川市役所第1庁舎を訪れました。

市川市役所第1庁舎といえば、戦後、市川市で生活していた永井荷風さんのスタチュー(像)と再現された書斎が目を引きます。ちなみに、現在は撮影が許可されているスタチューと書斎ですが、以前私が職員の方に撮影してよいか尋ねた際は、撮影してはならないと言われました。

永井荷風ゾーンの近くには、音響で空間を演出するベンチ型のサウンドアート「Ruhe(ルーエ):夢見る貝」が設置されています。これは、〈国産材でつくられた木製のベンチに用意されたグリーンプランターの中に置かれた「白い貝殻」に手をかざし、動かしたり止めたりすることで音が聴こえてくるインタラクティブアートです〉(出所:TECTURE MAG、「行政の公共スペースを音響で演出するベンチ型サウンドアートを市川市役所第一庁舎が導入」(2021年1月25日)、https://mag.tecture.jp/culture/20210125-21083/、2022年8月29日閲覧)。私は市役所第1庁舎に行く度、時間が許せば、必ずこのベンチに手をかざし、ベンチからのサウンドをリッスンすることにしています。訪問時には「Ruhe(ルーエ):夢見る貝」のサウンドを是非リッスンしてみてください。

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『平和展』で知った集団疎開の現実、そして、市川市でも行われた建物強制疎開

さて、市川市役所第1庁舎で用事を済ませた後、永井荷風ゾーンから「Ruhe(ルーエ):夢見る貝」を経て、ファンクションルームに吸い込まれた私なのですが、その部屋では、『平和展』が行われていました(2022年8月31日まで開催)

「平和展」~戦中・戦後の暮らしから平和を考える~
戦中・戦後に使われていた日常生活用品とパネルを展示し、疎開や空襲などの体験談を収めた映像を放映します。
市川市から出征された方への寄せ書きが記された日章旗を展示します。

出所:市川市公式Webサイト、「『平和展』を開催します」(2022年8月17日)、https://www.city.ichikawa.lg.jp/gen01/0000410047.html、2022年8月26日閲覧

「寄せ書きが記された日章旗」については後述します。

日章旗以外の展示物は、昭和館(千代田区九段南)所蔵の、戦時中に使用されていた生活用品や、通称「赤紙」として知られる召集令状などで、レプリカも多いですが、戦争中の苦しい生活の様子を生々しく伝えるものばかりでした。

パネル展示の中で強く印象に残ったのは、集団疎開の説明でした。東京や大阪といった大都市はアメリカ軍による空襲で狙われるため、危険を回避するために子どもたちは田舎に住む親戚のもとに疎開しました(縁故疎開)。頼れる親戚などがいない場合は、集団疎開といって、学校単位で地方の寺や旅館に疎開して、集団で生活をしましたが、これが集団疎開です。

「学童疎開」NHK for school
https://www2.nhk.or.jp/school/movie/clip.cgi?das_id=D0005402862_00000

上のWebサイトは学校教育用の教材として公開されているもので、短い動画も視聴することができます。集団疎開をしている戦時下の子どもたちが映っているので、是非、見てほしいと思います。

パネル展示で集団疎開の説明を読んだのですが、同級生と一緒に生活するなんて林間学校のようで楽しそうだ、などという呑気な感想は銀河系の彼方に吹っ飛ぶほどに、それはもう辛いものだったようです。まだ、小学生なので、親元を離れて長い期間暮らす寂しさから、疎開先のお寺などでは夜な夜な子どもたちの泣き声が聞こえたと言います。

戦争が終わり、疎開先から家のあった場所に戻ると、家が破壊されて住む場所がなく、親が亡くなっていることも多かったそうです。そのような子どもたちは戦災孤児となって、駅などで生活をしました。家がなく、食事を満足に摂れない生活を送るため、栄養失調などでなく亡くなる子どもも多かった、ということを知ると、「大人の都合で始めた戦争で子どもも犠牲になるのだ」、という戦争の悲惨さを痛感します。もちろん、「大人」は、「大人の男」に置き換えられ、「子ども」は、「大人の女性と子ども」に置き換えられます。

ところで、疎開というと、集団疎開や縁故疎開のような学童疎開を想起する人がほとんどではないかと思いますが、市川市でも行われた、別の疎開があったのをご存じでしょうか。

市立市川歴史博物館『企画展図録 戦時下の市川市域―小都市の防空態勢を中心に―』平成9年3月31日発行(1997年3月31日発行)によると、空襲による火災の延伸を防ぐために、家屋をあらかじめ破壊して間引いておく、建物強制疎開というものがあったということです。強制的に間引くのです。空襲の場合は、家屋の崩壊と住民の死傷という被害が想定されますが、この建物強制疎開では家屋を自主的に破壊するわけで、空襲の被害を抑えるためとはいえ、犠牲が大きすぎるやり方だと思います。

市川市では、昭和20年(1945年)の6月から8月にかけて、人口3万人以上の都市に適用された間引疎開が、根本・真間・新田・市川地域で措置が実行されたそうです。

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返還された日章旗と語りたくないほど酷い戦争体験

『平和展』には、終戦から77年が経過した今年(2022年)の8月16日に、市川市出身で太平洋戦争に出征した松丸泰介さんの家族のもとに返還された日章旗が展示されていました。

返還されたのは、市川市出身で、船舶工兵としてニューギニアなどで戦い、おととし98歳で亡くなった松丸泰介さんの日章旗です。
この旗は、29年前に亡くなったアメリカ軍の元海兵隊員、オリバー・ブッシーさんの息子でマサチューセッツ州に住むビル・ブッシーさん(75)が保管していたもので、遺留品の返還に取り組むアメリカのNPO「OBONソサエティ」を通して市川市役所に届けられていました。

(中略)

今回返還された旗は、太平洋戦争中、アメリカ軍の海兵隊員としてガダルカナル島やパラオに赴いたオリバー・ブッシーさんが長く保管していたものでした。
オリバーさんの息子、ビルさん(75)によりますと、オリバーさんが1993年8月に亡くなったあと10年以上たって家を売ることになった際、クローゼットから軍服や勲章などの記念品とともに箱の中に入っているのを見つけたということです。
今回、オンラインで取材に応じたビルさんは、旗を見つけたときのことを「ワックス紙で包まれていて、ガーゼのように薄く、すぐに壊れそうでした。何度も広げたら壊れてしまうと思い、一度だけ開きました」と振り返り、「父がこの旗を持っていたことすら私は知らなかったんです。太平洋戦争については決して多くを語らない人でした。ただ、少なくとも捨てなかったということは、敬意を持っていたのではないでしょうか」と話していました。

(中略)

ビルさんは「松丸さんも父も戦争を生き抜き、それぞれ家庭を築くことができました。本当によかったです」と話していました。

出所:NHK NEWS WEB (千葉 NEWS WEB)、「戦地に持って行った日章旗 家族のもとへ里帰り 市川」(2022年8月16日)、https://www3.nhk.or.jp/lnews/chiba/20220816/1080018778.html、2022年8月29日閲覧(太字は筆者)

上の記事にも登場するOBONソサエティのWebサイトによると、〈ほとんどの日本兵は出征する時に家族、友人、同僚、隣人などから「武運長久」の思い を込めて寄せられた言葉や署名が記された日の丸(日章旗)を持っていました〉(出所:OBONソサエティWebサイト、「よくある質問」、https://obonsociety.org/jpn/page/faq、2022年8月29日閲覧)ということです。古くから西洋では戦利品として敵軍の旗を持ち帰ることは名誉なこととされていたそうで、ほとんどの日本兵が折りたたんだ日章旗を身に着けいたこともあり、日章旗は人気の戦利品だったそうです。やがて戦争が終わり、旗を所持する元軍人が、旗に記された寄せ書きの意味を知ると、所持していた日本兵やその家族に返還したいと思うことが少なくない、とOBONソサエティのWebサイトでは説明されています(情報出所:OBONソサエティWebサイト)

松丸泰介さんの息子の裕一さんによりますと、泰介さんは大正10年生まれで、宮城県の石巻市から南太平洋のニューギニアなどに向けて出征し、船舶工兵として戦ったと聞いているということです。泰介さんはおととし98歳で亡くなり、裕一さんは「前向きで地域のためにいろいろやる人でした。戦争については、戦うというよりも生きるために食糧を探すのが日常だったと聞いたことがある。あとは、足をやられたら置いていかれるからダメだと話していた」と振り返っていました。

16日返還された旗は、破れや色あせ、インクのにじみがあり、かなり傷んだ状態ですが、「松丸泰介君」と大きく書かれた周りには、泰介さんの妻、百合子さんなど50人以上の名前があります。

返還式のあと裕一さんは「戦争についてほとんど語らなかった父ですが、この旗を見てどんなに悲惨な戦争だったんだろう、語ることができなかったのではないかと思いました。日の丸の赤の中に血がにじむ思いがあると分かってくれて、大事にしまってくれたのだろう。ありがたい気持ちでいっぱいです」と話していました。

出所:NHK NEWS WEB (千葉 NEWS WEB)、「戦地に持って行った日章旗 家族のもとへ里帰り 市川」(2022年8月16日)、https://www3.nhk.or.jp/lnews/chiba/20220816/1080018778.html、2022年8月29日閲覧(太字は筆者)

日章旗を所持していたアメリカの元軍人オリバーさんの子であるビルさんと、日章旗の元の持ち主だった松本泰介さんの子である裕一さんの言葉から、戦争を体験した人のほとんどは、勝敗という結果に関わらず、戦後にその体験を、自ら語ろうとはしないものなのだろうと思いました。語りたくないほど、壮絶で辛い体験だった、できれば思い出したくないほどに酷い体験をしたということではないでしょうか。

松丸泰介さんが出征したのはガダルカナル島ペリリュー島だったそうですが(情報出所:東京新聞Webサイト、「<つなぐ戦後77年>おかえり 父の日章旗 市川の旧日本兵 松丸さん遺族 市に寄贈予定『戦争はいけないこと』」(2022年8月17日) 、https://www.tokyo-np.co.jp/article/196401、2022年8月29日閲覧)、ガダルカナル島の戦いは、〈連戦連勝だった日本陸軍が敗北を喫し、アメリカとの攻守が逆転するきっかけとなった歴史的な戦いと位置付けられています。日本軍の将兵2万人あまりが亡くなりましたが、アメリカ軍との戦闘ではなく病気と餓えで命を落とした人が15,000人にものぼりました。「ガ島=餓島」と呼ばれた悲惨な戦場(出所:NHK戦争を伝えるミュージアム、「ガダルカナル島の戦いとは」、https://www.nhk.or.jp/archives/shogenarchives/special/warmuseum/04/、2022年8月29日閲覧)だったことから、生き残った松丸泰介さんは思い出したくなかったのだろうということが想像できます。

ペリリュー島での戦いについては、以下のNHK映像資料が参考になると思います。

[証言記録 兵士たちの戦争]ペリリュー島 終わりなき持久戦 ~茨城県・水戸歩兵第2連隊~
https://www2.nhk.or.jp/archives/shogenarchives/bangumi/movie.cgi?das_id=D0001210019_00000

なお、本稿の冒頭の画像は、漫画『ペリリュー ─楽園のゲルニカ─ 1』武田一義(著/文)平塚柾緒(太平洋戦争研究会)(著/文)の書影です(出所:版元ドットコム)。作者の武田一義さんへのインタヴューを含む、7分強の映像を紹介します。

TBS NEWS DIG マンガで伝えるペリリュー戦、異例のヒット【戦後76年 つなぐ、つながる】

ガダルカナル島の位置

ペリリュー島の位置

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戦争は過去のものではなく、残念ながら現在も起きています。太平洋戦争/第二次世界大戦が終了した1945年から77年となる、今年、2022年の2月24日に、ロシアが隣国ウクライナへの侵略を開始し、この戦争は、半年が過ぎた今(2022年8月29日時点)でも終わっていません。

ロシアによる半年間の侵攻で、ウクライナ国内は大きな被害を受け、国際情勢は一変した。ウクライナからの避難民は国内外で延べ1700万人にのぼり、全人口の3人に1人超となった。両軍の兵士や民間人の死者は3万人規模、負傷者も合わせれば10万人に達したもようだ。今後も第2次世界大戦後の欧州で「最大の危機」が続く。

出所:日本経済新聞Webサイト、「ウクライナ侵攻半年 避難民延べ1700万人、死者3万人も」(2022年8月24日)、https://www.nikkei.com/article/DGXZQOCB212UB0R20C22A8000000/、2022年8月29日閲覧(太字は筆者)

侵略が始まって半年が経ち、国民の3人に1人以上が国外に避難しているという壮絶な状況ですが、戦争状態が続くことで、更に避難者数が増えると考えられます。ウクライナの国土がどんどん荒廃していき、戦後に避難民となった人々が祖国に帰国しても、街の復興には想像することも難しいような長い時間を要するのではないでしょうか。一刻も早い戦争の終了のために私たちにできることはあるでしょうか。

8月24日の時点で、ウクライナ避難民入国者数は1,783人(男性が452人、女性が1,331人)で、市川市にも4人いらっしゃるということです(総数は出入国在留管理庁Webサイト「ウクライナ避難民に関する情報」https://www.moj.go.jp/isa/publications/materials/01_00234.html、市川市の人数は産経新聞Webサイト「ウクライナ侵攻半年 千葉県の避難民は54世帯83人 少なくとも9市受け入れ」(2022年8月23日)https://www.sankei.com/article/20220823-B2DGJQU755P47O5UTGEWCB5C4Y/ を参照)

ウクライナの位置

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この夏に読み直した漫画『cocoon(コクーン)』

話題が色々なところに行ったり来たりしていますが、そろそろ稿を終えたいと思います。最後に、2022年の夏、私が読んだ1冊の漫画を紹介します。今日マチ子さんの名作『cocoon(コクーン)』です。

沖縄(と明示されてはいませんが、そうだと思われる島)の女学生サンと学友たちの戦禍の日々が描かれている作品です。上で、集団疎開と戦災孤児に言及しましたが、未成年の登場人物たちの壮絶な体験が、繊細なタッチで表現されている本作からも、(政治家の)大人(の男)たちが勝手に始めた戦争で多くの子どもたちが犠牲になり、生き残った者も心身に消えない傷を負うという、戦争の悲惨さが伝わってきます。気になる人は、手に取ってみてください。1冊で完結する量です。

『cocoon』今日マチ子(著)、秋田書店の書影。初版は2010年8月。画像出所は版元ドットコム。

先日、TBSラジオ「アフター6ジャンクション」で、マームとジプシーにより舞台化された「cocoon」に言及されていました(TBSアナウンサーの日比麻音子さんが観劇したそうです)。以下のポッドキャストでそのくだりをリッスンすることができます。

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市川市にまつわるニュースを日々チェックする中で、日本兵が持っていた日章旗が持ち主の家族に返還されたという報道に触れたことと、実際に足を運んだ市川市の『平和展』でその旗を見たことをきっかけに、本稿を書き出しましたが、思いの外、分量が多くなってしまいました。

また、数日後には、戦争ではないのですが、市川市で発生した悲劇について取り上げたコラムを書く予定です。

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