本日(2025年8月6日)は、広島に人類史上初めて核兵器による攻撃がなされた、すなわち、米軍によって原子爆弾が投下され、甚大な被害を与えられた日(正確には、その初日)である、1945年8月6日から、ちょうど80年目に当たります。
私たち、フリースタイル市川は、広島市から、直線距離で約700㎞離れた千葉県の市川市でまちづくりを行うNPO法人ですが、まちづくりは平和がベースにあってこそ行えることでもあり、言わずもがな、まちづくりとは平和づくりの内側にあるものです。
市川市の安全を維持することは、世界平和を希求することとに直結します。
私たちが活動する市川市では、今から41年前の1984年(昭和59年)、
- いかなる国の核兵器に対しても、その廃絶と軍縮を訴えるため
- 世界の恒久平和確立のため
「核兵器廃絶平和都市宣言」を行っています。その宣言文は、以下の通りです。
核兵器廃絶平和都市宣言
世界の恒久平和と安全は、人類共通の願いである。
この普遍の願いにもかかわらず、核軍備の拡張は依然として行われており、人類は核戦争の脅威にさらされている。
わが国は、世界唯一の核被爆国として核兵器の恐ろしさ、被爆者の苦しみを世界の人々に訴え、再び広島、長崎の惨禍を絶対に繰り返させてはならない。
私たち市川市民は、生命の尊厳を深く認識し、国是である非核三原則が完全に実施されることを願い、いかなる国のいかなる核兵器に対してもその廃絶と軍縮を訴え、恒久平和確立のため、ここに「核兵器廃絶平和都市」となることを宣言する。昭和59年11月15日
市川市
出所:市川市公式ウェブサイト「核兵器廃絶平和都市宣言のご案内」(更新日:2024年8月30日、閲覧日:2025年8月6日) https://www.city.ichikawa.lg.jp/gen01/1111000023.html
冒頭の写真は市川市南大野2丁目にそびえる「核兵器廃絶平和都市」であることを謳った塔※1です。見たことがありますか?ぜひ、訪れて見ていただきたいです。
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市川市が「核兵器廃絶平和都市宣言」をしたのと同じ1984年に、「非核宣言を実施した自治体間の協力体制を確立することを目的」(出所:https://www.city.ichikawa.lg.jp/gen01/0000490509.html)のひとつとして設立された「日本非核宣言自治体協議会」に、なぜか長らく参加していなかったのですが、今年、「終戦80年の節目を契機として※2」(出所:https://www.city.ichikawa.lg.jp/gen01/0000490509.html)加入しました。現時点(2025年8月6日現在)、市川市は、全国の自治体で367番目の加入自治体で、最も新しい会員です。
■日本非核宣言自治体協議会
http://www.nucfreejapan.com/

市川市は、終戦から80年目に満を持してこの協議会に加わったわけですが、協議会設立と同じタイミングで「核兵器廃絶平和都市宣言」を発出している自治体として、協議会の中でも存在感を発揮してほしいと思います(と書きましたが、このあと書いているように、市川市は核兵器廃絶平和都市宣言を行っている他の自治体と共に率先して核兵器の廃絶と恒久平和の実現に向けた訴えを発信する意向を示しているのですね)。
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今日が8月6日だから、80年目という数字の上で切りの良い数だから、そんなことをきっかけに、この文章を書いています。だからといって、核兵器の廃絶について、そして、平和について考えるのが、「この日」だけで良いわけでは当然ありません。
私たちが暮らす市川市が41年前に核兵器の廃絶、軍縮を訴えたこと、恒久平和の確立を目指すと宣言したことを、本稿を通じて初めて知った方もいると思いますが、今年の1月に「被団協」こと「日本原水爆被害者団体協議会」の田中代表委員が市川市で講演をしてくださったことを知っている方は少なくないと思います。
ノーベル平和賞を昨年10月に受賞した、日本原水爆被害者団体協議会(被団協)代表委員の田中熙巳(てるみ)さん(92)の特別講演会(千葉県市川市主催)が15日、同市文化会館で開かれた。田中さんは被団協の活動や核兵器禁止条約などを説明しながら「核兵器をなくさなければいけない」と、事前応募の市民ら約400人に呼びかけた。講演後には田中甲市長との対談もあり、田中市長は「核廃絶」を宣言した関東の自治体に呼びかけ、11月に話し合いの場も持つ意向を示した。
出所:東京新聞「『核で守る』は間違い ノーベル平和賞、被団協・田中熙巳さんが講演 市川市長『核廃絶』で自治体連携へ」(2025年1月16日)https://www.tokyo-np.co.jp/article/379573
前年10月にノーベル平和賞を受賞した※3「被団協」の田中代表委員と市川市の田中市長の対談で、田中市長が意向を示したという関東の自治体への呼びかけと話し合いについては、市議会の場で市長が令和7年度施政方針を説明する中で、このように語っておられます。
また、11月には、核兵器廃絶平和都市宣言を行っている関東の34の自治体の市長にお声がけし意見交換の場を設け、地方自治体が率先して核兵器禁止条約の早期批准など、核兵器の廃絶と恒久平和の実現に向けた訴えを発信してまいります。
出所:市川市公式ウェブサイト 令和7年2月市川市議会定例会(2025年2月13日)https://www.city.ichikawa.lg.jp/cou01/kaigiroku0000490953.html ※田中甲市長による「令和7年度施政方針」の説明
そういう意味では、2025年6月25日の市川市議会で、発議「ガザ地区における即時かつ持続的な人道的停戦を求める決議について」の採決が賛成多数で可決されたのは良かったです。過去には類似の発議が反対多数で否決されていたので。
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上の発議の内容を見て、市川市という地方自治体でも、外国で起きている戦闘というかジェノサイドをストップするよう求めようという動きがあるのか、と驚いた人がいるかもしれません。が、マクロな話、地球規模の話と、ミクロな話、道路標識が見えづらいといった話が、両方、語られるのが、地方議会の特長とも言えます。
上の方で「市川市の安全を維持することは、世界平和を希求することとに直結します」と書きました。つながっています。目の前のことと、遠い場所で今起きていること。今の時代と、かつての時代。
最後に、今朝行われた広島の平和祈念式典における石破茂首相のあいさつより一部を紹介して、本稿を終えたいと思います。
今、被爆者の方々の平均年齢は八十六歳を超え、国民の多くは戦争を知らない世代となりました。私は、広島平和記念資料館を訪問した際、この耐え難い経験と記憶を、決して風化させることなく、世代を超えて継承しなければならないと、決意を新たにいたしました。
出所:中國新聞デジタル 首相あいさつ<2025年平和記念式典>【被爆80年 広島原爆の日】(更新日:2025年8月6日、閲覧日:同日)https://www.chugoku-np.co.jp/articles/-/691182
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〈注釈〉
※1:市川市が「核兵器廃絶平和都市宣言」をした都市であることを示す塔は、以前、市川市役所(建て替え前の旧庁舎)の敷地にもあったのですが、撤去されています。撤去された塔は保存、保管されているのかというと、そうではなく、処分されています。詳しいことは2020年12月の市川市議会・一般質問におけるやり取りをご覧ください。
○清水みな子議員 次に、(2)核兵器廃絶平和都市宣言の塔の行方についてです。昭和59年、1984年11月15日に市川市は核兵器廃絶平和都市宣言を行いました。旧庁舎には核兵器廃絶平和都市宣言の塔、そして文言の掲載された看板が花壇の中に建ててありました。塔は保存していると聞いていましたけれども、どこに保存してあるのか、それとも、その塔はなくなってしまったのでしょうか。新庁舎ができましたが、女性の像は新庁舎の隣に土地を確保して建ててありますけれども、塔は見当たりません。まず塔の行方、これを伺います。
(中略)
○菊田滋也街づくり部長 核兵器廃絶平和都市宣言の塔は、平成6年11月3日のクリーン・グリーン都市宣言を契機に、平成7年に旧庁舎国道14号添いの花壇に設置され、核兵器廃絶平和都市宣言及びクリーン・グリーン都市宣言、この2つの宣言が表示されていました。今般の庁舎の建て替えに際しまして、この塔などの移設場所の検討を行いましたが、敷地内の確保が困難と判断したことから、旧庁舎の解体工事の際に撤去、処分いたしました。
以上でございます。(中略)
○清水みな子議員 処分をされてしまったということで、本当に残念な限りです。これまで核兵器廃絶平和都市宣言、そしてクリーン・グリーン都市宣言など、ほかの各種の宣言もしておりますけれども、これを市民にどのように周知しているのか、これについて伺います。
(中略)
○菊田滋也街づくり部長 これまで塔に表示されていました2つの宣言につきましては、第1庁舎では国道14号沿いの西側、正面玄関上部に新しく設置されました大型電光掲示板に表示することとしています。また、表示する際には、平成16年11月3日に宣言しておりますWHO憲章の精神を尊重した「健康都市いちかわ」宣言、これも併せて表示することとしています。また、北西側の玄関の壁面にも、この3つの宣言の内容を表示しております。なお、第2庁舎となります現在の仮本庁舎、この正面玄関の壁面にも同様の内容で表示をしております。
以上でございます。(中略)
○清水みな子議員 大型電光掲示板に表示をするということですけれども、文字が流れていきますし、ずっと立ち止まって見ている人もおりませんし、また、いつ流れるかも分かりません。そういう意味では、北西側の玄関壁面というのは京成側ですね。ですから、やはり市民が気がつきませんので、市民の出入口、正面玄関にぜひ各種宣言を掲げていただきたい、このように強く要望いたします。
出所:市川市公式ウェブサイト 市川市議会 2020年12月10日 清水みな子議員の一般質問と菊田滋也街づくり部長の回答(更新日:2021年2月18日、閲覧日:2025年8月6日)https://www.city.ichikawa.lg.jp/cou01/kaigiroku0000358747.html
※2:市川市は、終戦80年を契機に「日本非核宣言自治体協議会」に加入したわけですが、70年目や60年目、50年目など、これまでも「契機」にできそうなタイミングは数多くあったはずです。なぜ、80年目なのか?終戦から40年の1985年に加入することもできたはずです(市川市が「核兵器廃絶平和都市宣言」をした翌年であり、「日本非核宣言自治体協議会」が設立された翌年でもあります)。もしかしたら、2025年1月に「被団協」の田中熙巳代表委員と市川市の田中市長が対談をし、そこで明らかにされた、今年の11月に、核兵器廃絶平和都市宣言を行っている関東の34の自治体の市長と意見交換の場を設け、地方自治体が率先して核兵器禁止条約の早期批准など、核兵器の廃絶と恒久平和の実現に向けた訴えを発信していく、ということを堂々と行うためにも、「日本非核宣言自治体協議会」に加入していないのはおかしな話だと指摘される(突っ込まれてしまう)可能性がある、ということで、急遽加入したのかもしれません。うがった見方でしょうか。
※3:ノルウェーのノーベル委員会は2024年10月11日に、同年の「ノーベル平和賞」を「日本原水爆被害者団体協議会(日本被団協)」に授与すると発表した際、委員会が発表した授賞理由より一部を紹介します(朝日新聞の記事からの引用です)。
ノルウェー・ノーベル委員会は、2024年のノーベル平和賞を日本の組織「日本被団協」に授与することを決定した。「ヒバクシャ」として知られる広島と長崎の原子力爆弾の生存者たちによる草の根運動は、核兵器のない世界の実現に尽力し、核兵器が二度と使われてはならないことを証言を通じて示してきたことに対して平和賞を受ける。
1945年8月の原爆投下を受け、核兵器の使用がもたらす壊滅的な人道的結果への認識を高めるための世界的な運動が起こり、メンバーたちはたゆまぬ努力を続けてきた。次第に、核兵器の使用は道徳的に容認できないという強力な国際規範が形成されていった。この規範は「核のタブー」として知られるようになった。広島と長崎の生存者であるヒバクシャの証言は、この大きな文脈において唯一無二のものである。
彼ら歴史の証人たちは、それぞれの体験を語り、自らの経験をもとにした教育運動を展開し、核兵器の拡散と使用への差し迫った警告を発することで、世界中に幅広い反核機運を生み出し、それを強固なものにすることに貢献してきた。ヒバクシャは、筆舌に尽くしがたいものを描写し、考えられないようなことを考え、核兵器が引き起こす、理解が及ばない痛みや苦しみを我々が理解する一助になっている。
そうしたなかでノルウェー・ノーベル委員会は、一つの心強い事実を確認したい。それは、80年近くの間、戦争で核兵器は使用されてこなかったということである。日本被団協やその他の被爆者の代表者らによる並外れた努力は、核のタブーの確立に大きく貢献した。だからこそ、この核兵器使用のタブーがいま、圧力の下にあることを憂慮する。
出所:朝日新聞「日本被団協にノーベル平和賞 授賞理由全文」(更新日:2024年10月11日、閲覧日:2025年8月6日)https://www.asahi.com/articles/ASSBC4QR8SBCUHBI02NM.html
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執筆日:2025年8月6日
公開日:2025年8月6日
執筆者:ノスタルジー鈴木