源流 Vol.3 矢路川 結子さん

源流

矢路川 結子さん(結meal株式会社代表)

矢路川 結子さん
結meal株式会社 代表
発酵食エキスパート1級
メディカルハーブセラピスト
ディーブセラピスト
スパイスハーブコーディネーター
発酵×スパイス食堂 YajikkoKITCHEN オーナー

① YajikkoKITCHENについて

―本日は宜しくお願いいたします。
まず、既に市内では有名店になっている、YajikkoKITCHENについて伺います。 オープンしてからもうどのくらい経ちましたか?

 はい。2017 年 5 月にオープンして 5 年目になりました。それ以前にも間借り営業をしていた時期があるので通算すると 6 年目になります。

もうそんなに?早いですね(笑)私がオープン時にお話して、いまでも強く記憶に残っているのは、どうして店内に「麹」についての詳しい説明書きなどが無いのですか?とお聞きしたところ「スタッフに直接聞いてもらうことによってお客様との対話が生まれることを大切にしている」という結子さんの言葉でした。あらためてお店のコンセプトというか、こういうお店でありたい!と思っていることなど聞かせてもらえますか?

 そんなこと言ってましたね(笑)当時と大きくは変わっていないのですが、今はスタッフも総勢9名に増え 3 カ月に1回は全員集まってミーティングをしています。その時に必ず共有するうちのお店のコンセプトは「こころとからだが笑顔になる食・空間を提供する」ということです。飲食店の形をとっていますが、食べ物を提供することだけではなく、接客やお客様との会話でもそれが実践できるよう意識しています。つまり一歩お店に入っていただいてから外に出るまでの時間を気持ちよく過ごしてもらうことが一番大切だと考えていますので、麹のアピールよりもお客様の健康と笑顔重視ってことになりますね。言い換えれば発酵食はそのための手段とも言えるかもしれません。

なるほど。こころとからだが笑顔になるための店舗であり発酵食なんですね。ではこの5年間で何か変化してきたことなどはありますか?

 うーん・・なんだろ?変化したこと・・・あ、私がお店にいなくなったことです(笑)。想いを共有しているスタッフが育ってきて、もう殆ど任せられるようになりました。そしてオープン時よりもメンバーが若返りました。あとは、私も含め初めて飲食店をやるメンバーばかりでしたので、5年も経つと細かい店舗運営や商品の訴求の仕方、取引先やお客様とのやり取りなど少しずつプロっぽくなってきたと思います。そこに至るまでは他のお店を研究したり、相談したり、実際に色々試してみたりと、全員で育ってきた感がありますね。

② 開店のきっかけと、それまでのキャリア

初めての飲食店という言葉が気になったのですが、YajikkoKITCHEN を始めようと思ったきっかけはどんなことだったのですか?

 食の専門学校に行っているときは、お店を運営するほうではなく「フードコーディネーター」としての勉強が主だったんです。卒業後は1年ほど料理教室の講師や企業向けのレシピ開発をやったり、テレビや雑誌でフードコーディネーターの仕事をしていました。その仕事も楽しかったのですが、ふと立ち止まって考えたときに「あれ、これってどこのゴールに向かっているんだ っけ?そもそも何がしたいと思って学校に通ったんだっけ?」と少し悩んだことがあり、自分なりに振り返ってみたところ、会社員生活をしていた時期に地元で働きたいという思いが強まり、その為にクリエイティブな力を身に着けようと考え、食が好きだから思い切 ってキャリアチェンジするために専門学校に行ったんだと思い出しました。

 でもフードコーディネーターの仕事もすごく楽しくて、飲食店のプロデュースとか、メニュー開発とか、「食を魅せる仕事」に夢中になっているうちに殆ど都内で働くことになってしまい、本来自分で設定したゴールから少し逸れてしまっていたんだと思います。そこで、地元の本八幡で食の仕事をするためにはどうしたらいいのかと考えた結果、「自分でお店をやって、自分の商品を自分でコーディネートすればいいじゃん」という結論に至って飲食店をやろうと思ったわけです。

食の専門学校は、確かレコールバンタンでしたよね?会社員生活から学び直しに至るまでの経緯について詳しく聞いてもいいですか?身近な環境にずっと食の世界があったとか、ご実家が飲食店だったとか、自然とそちらへ辿り着いたのですか?

 いやいや全然。私は短大を卒業してからずっと金融関係の仕事に就いていて、23歳で結婚しましたが、その後も複数の会社で窓口から営業、ダイレクトマーケティングやシステム開発など10年くらいで様々な経験をしました。どっぷりと金融業界に浸かっていた感じです。

そうなんですね!でもそこからどうして急に食の世界へ、そして専門学校に進学しようと思ったのですか?

 30歳のときに勤めていた会社が本当に居心地が良くて、大手だったので福利厚生も良いし周りの人にも恵まれていたんです。でも、なんとなく将来が見えているというか、レールの先がわかってしまっている感じがあって、あれ?このまま 60 歳まで行くのかな?と思ったらちょっとモヤモヤしてきて・・あ、こりゃ飽きちゃうなと(笑)もっと私には出来ることがあるような気がして色々と考え始めました。

 また、ずっと都心に通勤していて、職住近接への想いも強かったです。私の場合は短大出てから10年間働いていた訳ですけど、ちょうどその頃って女性はけっこうキャリアチェンジを考える時期なんじゃないかなとも思います。さて、そこから何をやろうか情報を集めまくった中で、たまたまレコールバンタンの記事を見つけ、「フードコーディネーター?食に関われる仕事っていいじゃん!市川で働いて、地元の飲食店とかを応援できたら尚いいじゃん!」と急に目の前の道が開けた感覚がありました。

それにしても金融業の会社員からの振り幅が大きいですね。結構勇気のいる決断だったのではないかと思いますが、どうですか?

 それがそうでもなくて。早くに結婚したので家を買いたいと貯金はしていたのですが、結構学費の高い学校だったので夫に相談したところ「うまくいってもいかなくても、学び直し=投資とか考えないで、やりたいなら行くべきだよ。もし失敗しても中古車買ってすぐ壊れたとおもえばいいじゃん」と明るく背中を押してくれましたし、自分としてもできるだけリスクを避けるために当時勤務していた会社にしっかりと説明して、働きながら通学しました。将来のために学校行くので、残業できません!なんてよく聞き入れてくれたと思います(笑)本当に周りに恵まれていたからこそ新しい挑戦が出来たのだと、振り返って実感しますね。

③ 学生時代・幼少の頃

周りに恵まれていたとご自身では言われますが、きっと普段の仕事ぶりや行動を周りの人が見ていてくれて、認めてくれていたからこそ協力してもらえたんでしょうね。それでは少し時代を遡って学生時代のことについて聞かせてもらえますか?

 私、だいたいみんなが思っている通りヤンチャだったので(笑)めちゃくちゃギャルでした。駅で祖母が私を見て、自分の孫だと認識できなかったくらいの時もあり、クラブやギャルサーにどっぷりで、なんとか短大を出るころに普通の人にもどって来られた感じです。15くらいにデビューして、19くらいにはちゃんと卒業しました(笑)中学時代の友達とかは今でもたまに会うのですが、社会人として普通に生活している以外は中身が変わっていないと言われます。親が割としっかりしていたのと、25歳くらいのときに働いていた会社の先輩のおかげで人として成長できたのかなと思います。様々な経験をしてきたことで若いスタッフの話も聴くことができますし、人って誰に出会うかで大きく変わっていくと身をもって体験してきたので、自分がしてもらったように愛情をもって人を育てることが大切だと感じています。

ちびっこの頃はどんな子だったのですか?小学生の頃とか。

 実家で小学校の頃の通知表をとっていてくれて、この間それを見たのですが、先生のコメントを読むと今の私と殆ど変わっていない子だったようです。明るくて、元気いっぱいで、リーダーシップをとって、困った子がいたら助けてあげるとか・・あとエピソードとしては、タイトルは忘れてしまったのですが「人の幸せを自分の幸せと思い、人を支えられる人間が幸せだ」みたいなことが書いてある本があって、私はそれに感銘を受けたと言ったら、先生が「君のような生徒を受け持てて誇らしい」とコメントしてくれました。

なんだか聞いていると、今とあまり変わっていないみたいですね。

 明るく元気でとか、誰とでも仲良くしてとか、ずっと変わらないですね。人の面倒を見るのが昔から好きで、妹の面倒を見たり、近所の子供を集めて学校ごっことしたりとかしてましたね。それと父の仕事の関係でたくさん引っ越しや転校をしているのですが、その経験をしたおかげで新しい環境でも自分の居場所を作ることが上手になったのだとも思います。

―なるほど。そういう経験が今につながっているのかもしれませんね。

④ 仕事、人生、これからのこと

さて、話は少し変わりますが、結子さんが最近「仕事のこと」「人生のこと」など、何でもいいのですが、よく考えていることってどんなことがありますか?

 そうですね・・何だろ・・女性としての美しさとか、品性とか、凛としてる感じとかを気にしていて、お店のミーティングのときにも「常に品を持って」みたいに話したりするのですが、昔からギャルだった割には言葉遣いが汚いのとかが嫌いで(笑)人としての美しさは意識していたかもしれません。最近は少し時間に余裕が出てきたこともあり、自分のケアをしたりとか、アロマ焚いてお風呂に入っちゃったりしてます。

 母親が女性らしい人だったので、洋服や、食べる姿勢など小さい頃から指摘を受けることもあったり、父親も細かいことは言わないのですが、人として間違ったこと、自分で責任のとれないことはするなと教えられたりしたことで、途中で横道に逸れてしまったことはありましたが(笑)なんとなく人としての品性を意識するようになったのでしょうね。

 そして年齢を重ねるにつれて「芯のある、品のある女性でいたいな」と考えるようになりました。あとは・・やっぱり仕事の事と美味しいもののことばっかり考えているかもしれません。

やっぱり仕事のことに辿り着くのですね。それではいま近未来に向けて妄想していること、企んでいることなど教えてください。

 昔から考えていることとして私の事業には「3つの柱」があります。

1つめは飲食店という形で私が届けたい世界観を披露するショールームとしての「YajikkoKITCHEN」

2つめは美味しい商品(万能調味料など)や、使いやすいキッチングッズなどをご家庭に届けたいという想いがあり、去年から商品展開した「キッチンノタカラモノ」の販売です。今後はもっとバリエーションを増やしていきたいと思っています。

3つめが、こころとからだが笑顔になる食事を伝えていくことで、今までは教室などの形で実現していたのですが、もっと多くの人に伝えたい、もっと多くの人と関わりたいという想いが溢れてきたんです。そしてそれを可能にするために今一番実現させていこうとしている事が、ICTに特化したキッチンスタジオである「ココカラエガオ研究所」です。

―ココカラエガオ研究所というのは、どんなコンセプトなんですか?

 「こころ」と「からだ」が笑顔になる食・空間を研究し発信していく場所。キッチンスタジオをインターネットと繋げ、新しい発信の場所にしたいです。

 YajikkoKITCHEN やキッチンノタカラモノというオフラインのものがあるので、オフラインのものを活用し映像配信というオンラインの世界を融合させて、まずは教室や日々の食を配信することから始め、その先に「もっと関わってくれる人を増やしたい」ということを考えています。まだまだ思案中なんですけど、自分がそうしてもらったように、お店では人を育てることに頑張っていて、その延長としていろいろな人の可能性を創れるようなものにしていく予定です。とにかく食を通じて関われる人をもっともっと増やして、輪を拡げていきたいなと思っています。

 あと、法人化した意味というのは、いっぱい稼いで優雅な生活をしたいということではなくて、一定の規模にすることによって守れる人を増やしたい、色んな人の可能性を創りたいという想いからです。さっきも話した通り会社員時代にとてもお世話になった人がいて、実はその方はもう亡くなってしまったのですけど、私も誰かに何かを伝えて行って「あの人がいてくれてよかった」と思ってくれる人が 100 人、いや 1000 人になってくれたら嬉しいです。うちに関わって、何かを見つけてくれる人がどんどん増えて行ってくれることが目標なので、デジタルキッチンスタジオがその手段になるようこれから内容を考え続けていきます。

では最後になりますが、60歳の自分ってどうなってると思いますか?

 えー?だいぶ先のことなんで全然想像できないですね。あ、アパホテルの社長みたいになってるかな(笑)有名になりたいとかではなくて、生き生きと前向きに活動していたいです。「これから何をしよう」とか常に考えて挑戦している人で居続けたいですね。もちろん事業としては一定の成功をして、誰かに何かを伝えるという想いは叶えておきたいですけど、まだまだ通過点だと精力的に活動をしていて、「あと 20 年後に何をしようか?」と60 歳の時に言えたら最高ですね。

なんとなく想像できます(笑)本日は色々とお話頂きありがとうございました。

<編集後記>

『ココカラエガオ』

 いつも明るく、誰からも好かれるキャラクターの結子さんに多くの話を聞かせて頂きました。昨年からのコロナ禍で、お店の営業に関しても多くの苦労があったと思われますが、いつも前向きに新しい取り組みを続けていて、明るい未来への計画を実現していこうというムードが店舗スタッフの表情からも伺えます。

 飲食店の成功ももちろんですが、その向こうにある「関わる人への想い」を形にしていこうという大いなる目標があることを今回は知ることが出来ました。

 小さい頃から社会人に至るまでの環境で、周りの人を大切にしながら自然と輪の中心にいるような女性になられていったことが分かり、「結」というワードを法人名に使われていますが、ご自身の名前に込められたご両親の想いを実現し、「家族」を増やしていこうという彼女の活動は、たくさんの人を「笑顔」にしていくものだと思います。

 これからも多くの笑顔が、ここから生まれていくでしょう。

書いた人:カブ城谷
撮った人:サンジョウヤスタカ

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