【市川ちょっと話】八幡の藪知らずにまつわるエトセトラ

コラム

公開日 2023年4月3日
更新日 2023年4月16日

2023年3月3日以来となる、通算14回目の「市川ちょっとばなし」です。

市川ちょっと話
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私の記憶が正しければ、極めて近い過去に、「八幡の藪知らず」にまつわる記事を公開したはずです。

本稿は、その内容を受け、「八幡の藪知らず」が、かつて抜群の知名度を誇ったアミューズメントだったことを、文献を紐解きながら見ていこうというものです。

と書きましたが、以下に記す内容のほとんどは、関明子氏の論文に掲載されているのです。

関明子著「『お化け屋敷』試論」
『日本文学文化』13号(2014年2月20日発行)に収録

なので、本稿は、Special Thanks to Akiko Seki であります。勝手に参考にさせていただきましたが、この場を借りて感謝を申し上げます。ありがとうございました!

さて、今から92年前の1931年、昭和6年には、こんな出来事がありました(Wikipedia「1931年」より)。

  • 1月 「少年倶楽部」で田河水泡の漫画『のらくろ』連載開始
  • 2月14日 三菱石油(現・ENEOS)設立
  • 4月6日 NHKラジオ第2放送が開局。
  • 4月25日 「オール讀物」(文藝春秋)創刊
  • 6月8日 お茶の水橋が完成
  • 9月18日 満州事変
  • 11月1日 松屋浅草店開業
  • 12月16日 東京浅草オペラ館開場、エノケンが旗揚公演

結構最近のことだね、と思う人もいるかもしれませんし、相当昔の話じゃないか、と思った人も多いことでしょう。ちなみに、現在、42歳の人が12歳だった1993年当時に、上で挙げた出来事が何年前に起きたことだったかと言えば、62年前ということになります。

この年の3月1日の読売新聞の1面には、次のような文章が掲載されていました。

怪変化でアッと云はす四谷怪談、相馬の古御所、海坊主法界坊等の物凄さから、珍談怪談、心中、鈴ヶ森の仕置場、珍説狐の嫁入り、古寺の妖怪、本所七不思議がずらりと並んで、正に文字通り百鬼夜行、凡ゆる妖怪が光線や音響の変化等で入場者の肝ツ魂を奪ひ去って、サテやっと出口に出てホッと思ふとこれがまた有名な夕聞の「八幡の薮知らず」で森や竹薮を分け入ると累々とならんだ墓場に出る。

出所:読売新聞(1931年3月1日)1面。参照した文献は関明子著「『お化け屋敷』試論」(『日本文学文化』13号、2014年2月20日発行) 赤字、赤太字は筆者による強調

これは、国技館で行われた日本伝説協会主催の「日本伝説お化け大会」に関する記事なのですが、本稿をお読みの方ならば、思わず、「お!」または「ん?!」と声に出してしまったのではないでしょうか。

日本伝説お化け大会のルートのゴール付近に、市川市が誇るミステリー・スポット、「八幡の薮しらず」があったということなのです。

ちなみに、「お化け大会」とは、「お化け屋敷」のことです。

さて、おもちゃの時計の針を戻して※2、少し時間を遡流そりゅうします。

  • 1月26日 日本初の社交クラブで、現存する交詢社が結成
  • 1月27日 トーマス・エジソンが白熱電球の米国特許を取得
  • 9月12日、16日 後の法政大学、後の専修大学となる学校が、それぞれ開校
  • 11月28日 札幌駅開業

という出来事があったのは、いつだったかというと、今から143年前の1880年、明治13年のことでした(Wikipedia「1880年」より)。この年の2月25日の浪花新聞には、次のような記事が掲載されました。

千日前は別して見世物、軽業などが沢山出来ておりますが、其中にて此頃チヨツポリと出来ました下総の八幡村の八幡知らずの薮を模擬た見世物は、薮の中に茶庖や小家などこしらへてありますが、飛ンダ大入、大繁日間だとのこと。

出所:浪花新聞(1880年2月25日)。参照した文献は関明子著「『お化け屋敷』試論」(『日本文学文化』13号、2014年2月20日発行)

「八幡の藪知らず」を模した藪の見世物が大人気だったというわけですね。

ちなみに、「千日前」というのは大阪の地名です。

難波の東側一帯に広がる「千日前」は、現在は住所や道路名、地下鉄の路線名になっているが、もともとは「千日寺」とも呼ばれた浄土宗の寺院「法善寺」や、現在は移転した「竹林寺」などの門前であり、「千日念仏回向」が行われていたことに由来する。この場所には、「大坂の陣」後の1615(慶長20・元和元)年、町内の墓地を整理して「千日墓地」や刑場が置かれた。

この「千日前」はやがて、見世物小屋や茶屋などが集まる町となり、1870(明治3)年に刑場は廃止、墓地は移転となり商業地として発展する。

出所:三井住友トラスト不動産公式Webサイト、「5.市街に点在した遊園地、市民の娯楽の場~難波」、https://fs-ichikawa.org/chotto_banashi014/、2023年3月31日閲覧

江戸川乱歩氏の小説『悪魔の紋章』(1949年)にも「八幡の藪知らず」が登場します。元々、「化物屋敷」や「八幡の藪知らず」と呼んでいたものが、この作品内の時代においては、「お化け大会」と改称されていた、ということです。

「ホウ、妙なものが出ているね。行って見ようじゃないか。化物屋敷なんて随分久し振りだ。東京にもこんな見世物がかかるのかねえ」

「近頃なかなか流行しているんです。昔は化物屋敷とか八幡の藪知らずとか云ったようですが、この頃はお化け大会と改称して、色々新工夫をこらしているそうです」

(中略)

「オヤ、変な見世物だねえ。五十銭の入場料で、五円の賞金を出していたんじゃ、興行主は損ばかりしていなけれゃなるまい」
 博士が思わず独言のように云うと、群衆の中の一人の老人が、それを聞きつけて、話しかけた。
「それが、そうじゃねえんですよ。座元は丸儲けでさあ。ホラ、ごらんなさい。入口からああしてゾロゾロ見物が出て来るでしょう。みんな中途で引返すんでさあ。
 あっしゃ、昨日から気をつけて見ているんだが、無事に出口まで辿りついた客は一人もねえ。よっぽどおっかない仕掛けがあるんですぜ。中途で引返した人の話じゃ、中は八幡の藪知らずで、どこをどう歩いていいかさっぱり見当がつかない上に、全く思いもかけないところから、ヒョイヒョイとおっそろしい化物や幽霊が飛び出して来る。イヤ、化物ばかりならいいんだが、もっと気味の悪いものがあるって云いますよ。死人ですよ。汽車に轢かれて、手足がバラバラになって転がっているんだとか、胸を抉られて、空を掴んで、口から血をタラタラと流して、今息を引取ろうとしているんだとか、怖いよりも胸が悪くなって、迚も見ちゃいられねえっていうんです」

出所:江戸川乱歩『悪魔の紋章』(1949年)、https://www.aozora.gr.jp/cards/001779/files/57240_60918.html

引用した後半のパートには、「中は八幡の藪知らずで、どこをどう歩いていいかさっぱり見当がつかない」との表現があります。こちらは、迷路になっていることを表していると思われます。

江戸川乱歩氏の小説『悪魔の紋章』は、著作権切れの図書を収録したWebサイト、「青空文庫」で読むことができます。引用した箇所を少し読むだけでも、面白そうな雰囲気が伝わってきますよね。

江戸川乱歩『悪魔の紋章』
https://www.aozora.gr.jp/cards/001779/files/57240_60918.html

江戸川乱歩さん(今、「氏」と書きながら、ここでは「さん」になっていますが、深い意味はなく、意図もありません。で、あるならば、語はなるべく統一すべきだ、そのような意見に私は完全同意です。普段、私もそのように指導しています。が、今は「気分」で敬称を変えちゃいます)といえば、神保町のすずらん通りにある天婦羅屋さん「はちまき」に通っていたことでも知られます(よ)ね。

2019年2月22日に私が撮影した「天婦羅はちまき」の外観です。
019年2月22日、久々の「はちまき」で食べた穴子海老天丼。むろん、カウンター席で。このあと神保町シアターで鑑賞した映画は『ちびまる子ちゃん わたしの好きな歌』でした。
こちらは2017年6月29日に私が「はちまき」で食べた穴子海老天丼です。
2020年6月18日に「はちまき」で食べた海老天丼です。

と、いうわけで、文献を紐解いて見たたら、かつて、「八幡の藪知らず」は全国にその名を轟かせるほど有名な場所で、藪の見世物がつくられて庶民の娯楽として親しまれ、大いに人気を博したことがわかりました。

大慶園さんあたりが、現代に「八幡の藪知らず」の見世物、迷路部屋みたいなものを復活させてくれないですかね~(←無責任発言)。

と、いうわけで(Part2)、ここで、星野源さんの「異世界混合大舞踏会 (feat. おばけ)」を聴いてみましょう。

それでは、みなさん、またお会いしましょう。ノスタルジー鈴木こと、鈴木雄高でした。

* * * * *

〈注釈〉
※1:タイトルの「八幡の藪知らずにまつわるエトセトラ」は、PUFFYが26年前のちょうど今頃、1997年4月16日発売した4枚目のシングル「渚にまつわるエトセトラ」からの引用です。
※2:Mr.Childrenが31年前の1992年に発表したデビュー曲「君がいた夏」のサビの歌詞より。