【市川ちょっと話】大野町のしっぽ

コラム

公開日 2023年2月5日
更新日 2023年2月10日、2024年3月2日

通算12回目の「市川ちょっと話」です。

まずは、この地図をご覧ください。

赤い点線で囲まれた場所は「市川市大野町おおのまちです。

地図を眺めると、大野町の中を鉄道が走っていることにすぐに気付くと思います。JR武蔵野線が南北を貫き、市川大野駅があるのがわかりますね。

その後、何が目を引きましたか?ここが気になりませんか?

図の出所:筆者作成

ここ、何でしょうか。

大野町のしっぽ?

ここは「大町公園」なのです。

正確に言うと、大町公園がつくられた、長田谷津ながたやつという独特な地形、その土地の一部です。

市川自然博物館のWebページに、長田谷津についての説明が掲載されています。
https://www.city.ichikawa.lg.jp/shisetsu/haku/sizen/nagata/kikaku/1-1-2.htm

このWebページでは、長田谷津は〈平らな台地に刻まれた細長い谷の地形をした場所〉だという説明がされています。

公園の名が「大町公園」であることからわかるように、この公園は、ほぼ「大町」にあります。しかし、「大野町のしっぽ」と私が呼んでいる、この細長い部分、長田谷津の谷にあたるここだけは(ヌ・アント!)「大野町」なのです。

Why?なぜに?※1ここだけ大野町なのか?

ネットで検索してもわからないので、市川市公式Webサイトから問い合わせてみました。すると、自然博物館学芸員の金子謙一さんから、メールで大変丁寧な回答をいただきました!あまりにも丁寧な説明に、感激しました。

いただいたメールによると、「しっぽ」のように細い谷の部分だけが大野町で、周囲が大町である理由は、以下の通りです。

昭和22年の土地利用図を見ると、長田谷津の谷底が水田で、大野町の方まで連続していること、斜面が山林で大町の梨街道周辺と同じ土地利用であることがわかります。

また、大野町では、町名が設けられる前から稲作が行われており、食料増産の時期に大野町の農家が長田谷津まで水田を広げたということです。

その後、町名をつけることになりましたが、大野町の農家の水田であるにもかかわらず、その町名が大町だと都合が悪いということで、長田谷津の谷底は、農家の所在地だった大野町になったそうです。

以上が、金子さんの説明を私なりに書き下したものです。

ちなみに、これも金子さんに教えていただいたのですが、大町公園のあたりのかつての地名である字名は、

  • 谷底:「長田」「菖蒲作」
  • 斜面や台地上:「千駄木」「千駄山」「畑野」「新畑」「駒形」

となっているそうです。

金子さん、私の不躾な質問に対して、大変丁寧な回答をいただき、ありがとうございました。

市川市自然博物館のWebページから、長田谷津のかつての土地利用を解説している箇所を引用します。

長田谷津とその周辺は、畑作・稲作などの農業と、薪・炭などの林業の場として利用されてきました。土地の性質に合わせ、台地上は畑と林谷底は水田に利用されました。見かけこそ変化しましたが、そういった土地利用の土台となる環境は、そのまま現在の長田谷津に受け継がれています。
台地上では林が減り、畑は梨畑になり、住宅も増えましたが、雨水が浸み込む土の地面は変わらずに残っています。谷底では稲作がおこなわれなくなりましたが、いまでも湿地に手を入れれば水田を復元し、稲を育てることができます。市川市域で市街化が進んだ中、大規模な地形の改変やコンクリート化がおこなわれずに現在に至りました。長田谷津とその一帯は、市街地の中にぽつんと取り残された場所になりました。

出所:市川市自然博物館公式Webサイト、「長田谷津 5 むかしのようす(土地利用の変遷)」、https://www.city.ichikawa.lg.jp/edu16/0000402103.html、2023年1月27日閲覧(文字の色は筆者による強調)

人間による土地の利用の仕方が変化しても、環境は大きく変わることなく残されているのが、このエリア(ほぼ大町、一部、大野町)なのですね。野生のヘイケボタルがいることを、意外と知らない人が多いかもしれません。

ところで、長田谷津周辺の台地にあった畑は梨畑になった、という記述があります。梨畑があることは、長田谷津に何らかの影響を及ぼすのでしょうか。現在の大町の梨畑と長田谷津の関係について、NPO法人千葉県森林インストラクター会の資料で確認してみます。

このあたりでは、水はけのよい関東ローム層、十分な日照に加え、いくつもの品種が栽培され、長い期間収穫ができます。梨畑があることで、雨が直接地面にあたらず、地面は浸食から守られます。常に手入れの行き届いた梨畑は、土壌の力があり、保水力が保たれます。梨畑一帯に降った雨はゆっくりと地面に浸透して、地下に蓄えられ、湧き水となって、長田谷津に浸み出します。

(中略)

長田谷津では、かつて水田のあった谷底に、両側の斜面の裾や水路の底など、あらゆるところから浸み出す湧き水が見られます。湧き水が出ている水底には砂が堆積しており、台地表面の関東ローム層の下の成田層という砂の地層に蓄えられた地下水が湧き出していることを示しています。

(中略)

長田谷津で湧き出した水は、大柏川に流れ込み、さらに真間川と流れを変えて東京湾に注ぎこみます。
「春の小川」そのものの景色からは、台地の梨畑は見えません。湿地だけを残しても、この状態は維持できません。広い梨畑が、斜面林が、支える湧水のある自然なのです。

出所:NPO法人千葉県森林インストラクター会、金子陽子「森に親しむ講座 大町長田谷津と屋敷林―梨畑が支える湧水」(2014年4月24日)、http://www.chiba-shinrin-instructor.com/kaiinsenyo/data/hiru20140424oomati-siryo.pdf、2023年1月25日閲覧(太字は筆者)

梨畑の土壌には保水力があるため、梨畑に降り注いだ雨が、長田谷津の湧水となるのですね。その水は、大柏川に流れ、真間川に変わった後、東京湾へと流れていきます。そして、海から上空に移動した水が、梨畑に降り…というふうに、水が循環します。

ところで、建設が計画されている北千葉道路は、大町を通ることになっています。これに関連して、2019年10月6日に曽谷公民館で公聴会が開かれました。参加したのは1名だけでしたが、この方が、農地の保水力に言及しながら、道路建設に対する懸念を述べていました。

以下の情報の出所は、千葉県「一般国道464号北千葉道路(市川市~船橋市)関連都市計画道路の都市計画変更について」(https://www.city.ichikawa.lg.jp/common/000348597.pdf)です。

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■公述の要旨
市川市全体でみると、この北東部の地域というのは緑地も多く、保水機能を持った農地のある地域で、非常に貴重な地域である。そこにこのような大きな道路を造るのは基本的に反対である。

●県の考え方
広域高速移動の強化や周辺道路の渋滞緩和、災害等の緊急輸送ネットワークの強化のため、本計画による北千葉道路の整備は必要であり、事業実施に伴う自然環境への影響については、都市計画手続きと並行して進めている環境影響評価手続きにおいて検討しているところであり、今後、環境影響評価準備書において、調査、予測及び評価し、必要な保全措置を講じて参ります。
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関連記事:北千葉道路について

ところで、大町公園は、長田谷津の地形も相まって、「奥市川」という言葉がぴったりですね。

最後に、私が再生ボタンを押す直前の再生数がわずか4だった動画「長田谷津の景観」を紹介します。是非、この動画を見て、そして、大町公園に行き、尾瀬のように見えなくもない雄大な自然を味わってください。2024年3月2日追記:動画を埋め込んでいましたが、削除しました。

2024年3月2日 加筆
本日、自然観察園(かつては大町自然公園と呼ばれていました)と自然博物館に行ってきました。自然博物館(市川市動植物園内)には5年くらい前に行きましたが、自然観察園を歩いたのは、ここ10年では初めてのことだったと思います。もしかしたら20年ぶりくらいだったかもしれません。写真や動画をたっぷり掲載していますよ。

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〈注釈〉

※1:この「Why?なぜに?」は、矢沢永吉さんが1994年に出演したドラマ『アリよさらば』の主題歌「アリよさらば」(作詞は秋元康さん)のリリックを意識したものです。