3月に、市川市で、議員発議による条例が成立しました。
3月4日(金)、市川市議会で市川市手話言語条例が採決され、成立しました。
市川市手話言語条例は、市川市にわが国唯一の国立聾学校があることを明記し、市川市が、ろう者が手話を通してアイデンティティと誇りを持って歩んできたまちであることを謳っているなど、特色のある条例です。条例の策定にあたっては、市川市ろう者協会が全面的に協力しています。
出所:市川市ろう者協会Webサイト、「市川市手話言語条例が成立しました!」(2022年3月10日)、https://deaf-ichikawa.jp/ (太字は筆者)
引用した市川市ろう者協会のWebサイトに掲載されている文章には、「市川市が、ろう者が手話を通してアイデンティティと誇りを持って歩んできたまちである」とあります。
市川市と、ろう者、手話の間には、どのような歴史があるのか。第3回となる「市川ちょっと話」では、これをテーマに調べてみます。
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ところで、「条例」とは何だかご存じでしょうか?事典で確認してみます。
地方公共団体が自治立法権に基づいて制定する法の形式。日本国憲法94条により、地方公共団体は国で定める法律・政令とは別に、その地方の事務に関し議会の議決を経て独自の法規を制定できる。その効力は法律の範囲内とされるが、自治立法権を積極的に解釈する立場からは、法目的実現のために基準を法律より厳しくする「上乗せ条例」や、地域問題の解決のために独自の条例を制定できると解されている。
出所:『ブリタニカ国際大百科事典』(「コトバンク」掲載、https://kotobank.jp/word/%E6%9D%A1%E4%BE%8B-80005)太字は筆者
「法律」が国会によって制定される法であるのに対して、「条例」は地方公共団体(地方自治体)が地方議会によって制定される法です。「条例」によって「法律」よりも強い規制をおこなうことはできないとされます(法律先占理論説)。なお、地方公共団体における自治立法としては、「条例」の他に「規則」というものもあります。「規則」は、地方公共団体の長や委員会が制定する法形式で、議会の議決を経ることなく制定できます。
さて、前置きが長くなりました。いよいよ、本題に入ります。
すでに「ろう者」や「手話」などの用語が登場していますので、ここで、用語の説明をしておきます(本稿には登場しない語もあります)。
- ろう者:耳が聞こえない人のこと。なお、「聾唖(ろうあ)者」という言葉は、高齢者のろう者は使うが、それ以下の世代ではまず使わない。
- 聴者:耳が聴こえる人。「健聴者」という言い方もあるが、これも今はあまり使わない。「健聴者」という言葉は、聴者が使うことが多く、「聴者」は、ろう者が使い始めた。「健聴者」という言葉ではなく、「聴者」という言葉を使おうと広めているところ。
- CODA(コーダ):Children Of Deaf Adultsのこと。Deaf(デフ)は、ろう者のこと。「聞こえない親を持つ、聞こえる子供」の意味。片親だけがろう者でも当てはまる。
- 日本手話:ろうのコミュニティで自然発生したネイティブの手話。独自の文法を持つ独立した言語であり、視覚言語。音声の言語とは文法が異なり、手だけではなく、表情・間・空間の使い方なども言語の要素として使用する。(本稿で単に「手話」という場合はこれを指す)
- 日本語対応手話:音声で発される日本語を視覚的に置き換えたもの。
- アメリカ手話:アメリカで用いられる手話。American Sign Language、ASL。映画『コーダ あいのうた』で使われている。
出所:TBSラジオWebサイト、アフター6ジャンクション「『映画とろう者 特集』書き起こし【前編】2022.2.15(火)」(2022年2月15日)、https://www.tbsradio.jp/articles/50875/、2022年7月5日閲覧
続いて、「市川市手話言語条例」の目的や基本理念は何なのか、確認してみましょう。
市川市手話言語条例
https://www.city.ichikawa.lg.jp/common/gen01/file/0000402357.pdf
(目的)
第1条 この条例は、手話が言語であるとの認識に基づき、手話に対する理解の促進に関し、基本理念を定め、市の責務並びに市民及び事業者の役割を明らかにするとともに、手話に対する理解の促進に係る施策の推進について定めることにより、本市において誰もが安心して暮らすことができる共生社会の実現に寄与することを目的とする。(基本理念)
出所:「市川市手話言語条例」https://www.city.ichikawa.lg.jp/common/gen01/file/0000402357.pdf (太字は筆者)
第2条 手話に対する理解の促進は、ろう者が基本的人権を享有するかけがえのない個人として尊重されること及び手話が独自の言語体系を有する文化的所産であることを旨として行われなければならない。
短い文ですが、「基本理念」が非常に重要です。あえて、「ろう者が基本的人権を享受するかけがえのない個人として尊重されること」と明記しています。当たり前のことのように思うかもしれませんが、この条例の「基本理念」に明記しているということは、ろう者には基本的人権を侵害されるような(享有できなかった)歴史があったことをうかがわせます。
今、さりげなく「基本的人権」という言葉を書きました。「基本的人権」といえば、「日本国憲法」に明記されていることはご存じかと思います。この機会に、「日本国憲法」において「基本的人権」について記されている箇所を確認しましょう。
〔基本的人権〕
出所:「日本国憲法」https://www.shugiin.go.jp/internet/itdb_annai.nsf/html/statics/shiryo/dl-constitution.htm#3sho
第十一条 国民は、すべての基本的人権の享有を妨げられない。この憲法が国民に保障する基本的人権は、侵すことのできない永久の権利として、現在及び将来の国民に与へられる。
「日本国憲法」の第11条、「基本的人権」。自民党の「日本国憲法改正草案」では、この第11条にも変更が施されています。興味のある方は改正草案をチェックしてみてください。
ちなみに、「日本国憲法」で「基本的人権」の享有を妨げられないとされる対象は「国民」となっていますが、「外国人」の場合は、「基本的人権」の享有を妨げられるのかというと、当然そうではありません。「外国人の人権」※1については本稿の主題を外れるので、注釈で説明します。
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さて、市川市とろう者の関わりについて(これが本稿の本題です!)、みていきましょう。
戦後(1946年)、市川市国府台に国立の聾学校(現・筑波大学附属聾学校)が置かれるようになったことが、市川市とろう者コミュニティとの関わりの始まりです。附属聾学校の卒業生や教職員の中には市川市で暮らすようになった人も多く、そうした卒業生を中心に、主に手話で暮らすろう者のコミュニティが少しずつ形成されていきました。
市川市ろう者協会はこのような歴史的背景があって、千葉県内で最初のろう者協会として昭和36年(1961年)に設立されました。
出所:市川市ろう者協会Webサイト、「ごあいさつ」、https://deaf-ichikawa.jp/%E3%81%94%E3%81%82%E3%81%84%E3%81%95%E3%81%A4/ (太字は筆者)
筑波大学附属聴覚特別支援学校は、「我が国の国立大学附属学校の中で唯一、聴覚障害のある幼児・児童・生徒を教育対象とする特別支援学校」(出所:筑波大学附属聴覚特別支援学校Webサイト「ご挨拶」)です。学生寮もある国府台のこの学校には、全国から学生が集まってきます。多くの卒業生や教職員が市川市で生活するようになり、「手話で暮らすろう者のコミュニティ」が市川市に形成されていったのですね。卒業後も、住み慣れた、通い慣れた市川市で生活することを選んでくれるろう者の皆さんが多いのであれば、それはうれしいことです。
今回、「市川市手話言語条例」が成立したことで、ろう者の皆さんにとって、より住みやすい、暮らしやすい、まちづくりが行われることが期待されます。フリースタイル市川が手掛けるまちづくりの活動でも、聴覚に障害をお持ちの方々に活躍していただく場があります。
さて、市川市とろう者の関わりについて、もう少しみていきましょう。
「千葉聴覚障害者センター」のYouTubeチャンネルで、条例が成立したことを伝える動画が公開されています。
この動画の中で、千葉県聴覚障害者協会理事長の植野圭哉氏が、「日本手話の誕生から現在に至るまで」と題した基調講演をしている様子が紹介されています。植野氏は、この講演の中で、次のように述べています。
- 全日本ろうあ連盟結成の準備は市川で行われました
- 全国ろうあ者体育大会も市川での野球大会から始まり、全国に広がりました
- 日本の「ろう教育の歴史」「ろう者の歴史」「手話の歴史」すべての点で市川は深くかかわり原点となっているのです
この動画を視聴するまでは、市川市が「ろう者の歴史」、「手話の歴史」の原点であるということを知りませんでした。現在も市内にろう者のコミュニティがあるということなので、この歴史を多くの市民に知ってもらうことで、市川市の聴者の皆さんが、ろう者や手話について理解を深めることにもつながると思います。
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最後に、手話について触れておきます。
上で、「日本手話」について、〈ろうのコミュニティで自然発生したネイティブの手話。独自の文法を持つ独立した言語であり、視覚言語。音声の言語とは文法が異なり、手だけではなく、表情・間・空間の使い方なども言語の要素として使用する〉(再掲)と説明しました。
「市川市手話言語条例」にも、次のような記述があります。
手話は、音声言語とは異なる文法の体系と豊富な語彙を有し、手や指、身体の動き、表情等により使う者の意思や感情を表現する言語である。音声言語と同じく自分の思いや考えを伝える方法として、ろう者やその支援者によって大切に受け継がれてきた。そして、平成19年に日本国政府が署名した障害者の権利に関する条約及び平成23年に改正された障害者基本法(昭和45年法律第84号)において、手話は言語として明確に位置付けられた。
出所:「市川市手話言語条例」https://www.city.ichikawa.lg.jp/common/gen01/file/0000402357.pdf (太字は筆者)
ここで、「手話」(日本手話と同じ意味です)が、日本語とは異なる体系をもつ独立したひとつの言語であることを、表現という側面からみてみます。
以下で引用するのは、NHK手話ニュースキャスターとして活躍するほか、芝居、講演なども行う、那須英彰さんのインタビュー記事です。
那須:ただ、先天性のろう者、つまり私みたいに言語を獲得する前にろう者になった場合、第一言語として、日本語ではなく手話を覚えるので、日本語を第一言語として習得している難聴者や中途失聴者とは感覚が違うと思います。たとえば、これまで見た中でほとんどそうでしたが、手話コーラス(歌詞を手話で表現しながら行う合唱)なんかは日本語がベースになっているので、曲を聞いたことがない私が見てもよくわからない部分があるんですよ。
―そもそも「ろう者の手話(=日本手話)」と「日本語をベースにした手話(=日本語対応手話)」は異なるということですよね。
那須:ある高齢のろう者が、日本語をベースにした手話ではなく、「日本手話」で“蛍の光”を演じているのを見たことがあるのですが、とても素敵で。それを「日本語対応手話」で表すとなんの感動もなく、せっかくの美しい曲が台無しになってしまうんです。
出所:Fika、「手話という表現の世界。NHK手話ニュース那須英彰が語る」(2021年1月25日)、https://fika.cinra.net/article/202101-nasuhideaki_yzwtk、2022年7月6日閲覧
日本語を習得する前にろう者となった場合は、第一言語が手話(日本手話)だ、というのは当然のことですが、普段、手話のことやろう者のことを考える機会がほとんどない私は、那須さんの言葉にハッとさせられました。ちなみに、那須さんのこのインタビュー記事では、手話という言語表現の豊かな表現についても触れられているので、是非読んでいただきたいと思います。
最後に、今年、手話を巡る報道に触れる機会があったので、紹介します。
北海道札幌聾学校における日本手話教育の危機的状況
https://sites.google.com/view/satsurojsl/
このWebサイトでは、〈北海道札幌聾学校では、これまでにバイリンガルろう教育※2を担当していた教員の定年退職が続いていますが、北海道教育委員会、北海道札幌聾学校校長は、その補充をしません。保護者が何度も「日本手話での教育の維持発展」、「日本手話で授業ができる教員の確保」を要望していますが、聞き入れられません。このままでは、来年度以降、子どもたちが日本手話での教育を受ける権利が保障されなくなってしまいます。つまり、子どもたちの母語が奪われてしまうのです〉(太字は筆者)と、北海道札幌聾学校で行われているバイリンガルろう教育が危機にあると訴えています。
一方、2022年3月31日付けの、公益社団法人北海道ろうあ連盟の理事長による、「北海道札幌聾学校における日本手話を用いた教育について」という文書では、上記のような危機を訴える動きを受け、連盟として北海道教育委員会と面談をした結果、上のような危機にはないことを確認した、と述べています。
この問題の行く末については見守りたいと思いますが、独立した言語である「日本手話」を学ぶ機会が損なわれてしまうことは、あってはならないことだ――という考え方があることがお分かりいただけたかと思います。
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本稿では、4か月前に市川市において議員発議により、「市川市手話言語条例」が成立したことを取り上げ、市川市とろう者、手話の関係を中心に、やや取っ散らかった文章※3を綴りました。また、調べながら本稿を書いているうちに、主題からは外れるため、本編では扱わなかったものの、せっかくの機会なので記しておこうと思い、注釈に掲載した「日本における外国人の基本的人権」や、いつかどこかで※4書く機会があれば、記事を書きたい事項もあります。
ともあれ、日本における、ろう教育、ろう者、手話の歴史の原点が市川市である、ということを、今回しっかりと確認できてよかったです。
以上で、「市川ちょっと話」の第3回は終わりですが、最後の最後に当シリーズについて説明します。
このシリーズは、フリスタのメンバーが気になっている市川市にまつわる事項のうち、あまり広くは知られていないのではないかと思われるモノ・コト・人物などを取り上げる短文※5です。
「まちづくりNPO」であるフリースタイル市川のWebサイトに、どうしてそんな話を載せるの?とお思いの方もいるかもしれませんね。このコラムそのものが「まちづくり」に直接関わるものとは言えない、それはその通りでしょう。せいぜい、市川パースン※6同士で話をしているときに、「この話、知ってる?」という風に切り出して、「市川ちょっと話」の内容を喋って、市川話(いちかわばなし)で盛り上がることができる、その程度だとは思います。が、その程度の小さなコミュニケーションがたくさん生まれることも、「まちづくり」にとって、大切なのではないかと思うのです。
出所:『【市川ちょっと話】市川で誕生したサード長嶋』、フリースタイル市川Webサイト 2022年6月16日、https://fs-ichikawa.org/chotto_banashi001/
それでは、また「市川ちょっと話」でお会いしましょう!
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〈注釈〉
※1:本編でも紹介しましたが、「日本国憲法」の第11条「基本的人権」は、次の通りです。
〈国民は、すべての基本的人権の享有を妨げられない。この憲法が国民に保障する基本的人権は、侵すことのできない永久の権利として、現在及び将来の国民に与へられる。〉
しばしば、日本国内で外国人の人権が侵害されている事件の報道に触れますが、その際に、SNSなどで、「日本国憲法では、基本的人権の享有を妨げられないとされているのは『国民』であり、『国民』ではない『外国人』はその対象ではない」という意味の発言をする人がいます。しかし、この発言は誤っていると思います。その根拠は、以下の通りです。
通称「マクリーン事件」として知られる、「在留期間更新不許可処分取消」という事件の最高裁判例(1978年10月4日)において、「外国人について基本的人権が保障される」と述べられています。
憲法第三章の諸規定による基本的人権の保障は、権利の性質上日本国民のみをその対象としていると解されるものを除き、わが国に在留する外国人に対しても等しく及ぶものと解すべきであり、政治活動の自由についても、わが国の政治的意思決定又はその実施に影響を及ぼす活動等外国人の地位にかんがみこれを認めることが相当でないと解されるものを除き、その保障が及ぶものと解するのが、相当である。
出所:最高裁判所判例、「在留期間更新不許可処分取消」、https://www.courts.go.jp/app/files/hanrei_jp/255/053255_hanrei.pdf (太字は筆者)
※2:「バイリンガルろう教育」とは、〈ろう教育の一種で、重度聴覚障害児に対し、手話と書記言語の2つの言語を習得させ、それによって教科学力を効果的に獲得させることを理念とする教育法〉のこと。(Wikipediaより)
※3:野球の投手が投げる球の質で言えば、「荒れ球」に相当します。
※4:「いつか何処かで (I FEEL THE ECHO)」は、〈桑田佳祐の楽曲。自身の2作目のシングルとして、タイシタレーベルから8cmCDで1988年3月16日に発売された〉曲で、『いつか どこかで』は、〈1991年に製作されたシンガーソングライター、小田和正の第1回映画監督作品〉。桑田佳祐氏はサザンオールスターズのボーカリストで、小田和正氏は元オフコースのボーカリストです。(〈〉内はWikipediaより)
※5:通常、「市川ちょっと話」は短文の範疇に入る文字数に収まるのですが、今回は少し長くなりました。
※6:市川パースンとは、市川市民だけでなく、元・市川市民、市川市で働いている人、市川市の学校で学んでいる人、市川市が好きで頻繁に訪問しては飲食店を漫遊してエンジョイしている人※7などを含む、市川市に関わりのある人(パースン)を指す語です。
※7:市川市が好きで頻繁に訪問しては飲食店を漫遊してエンジョイしている人としては、週末八幡botさんがよく知られています。