公開日 2022年12月30日
更新日 2022年12月31日
通算10回目の「市川ちょっと話」です。
はじめに、市川市内の3地点の場所をご確認いただきましょう。
①市川市市川1丁目6番19号
②市川市新田5丁目1番3号
③市川3丁目23番1号
①~③の3地点が何を示しているかわかりますか?
ヒントを3つ、地図で示します。
③’ 市川市八幡2丁目16番6号
④ニッケコルトンプラザ
⑤イオン市川妙典店
いかがでしょうか?
わかりましたか?
ヒントとして示した③’は、本八幡駅北口のハタビルで、かつて映画館があった場所です。④と⑤は、2022年現在、営業中の映画館がある場所ですね。
①、②、③は、かつて映画館があった場所です。
と、いうわけで、①、②、③の映画館について、簡単に歴史を確認してみます。
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三松館~市川日活館~市川オークラ劇場
①市川市市川1丁目6番19号
JR市川駅の北口を出て少し歩いたところ、国道14号線沿いの地に、かつて映画館がありました。ここは、市川市で最初に開業した、つまり最古の映画館でした。
- 1923年 三松館(さんしょうかん)として開館
- 1940年前後 市川東宝三松館と改称
- 1950年 日活三松館と改称
- 1952年 市川日活館と改称
- 1954年 日活が大蔵興行所に同館を売却
- 1970年前後 市川オークラ劇場と改称
- 1985年 閉館
情報出所:Wikipedia、「市川オークラ劇場」(2022年12月30日閲覧)
大正時代に、というか、関東大震災があった年に開業したこの映画館は、ハレー彗星が地球に接近し、阪神タイガースが日本一になった昭和60年まで、60年以上もの長きに渡って営業していたのですね。
市川日活館と改称された後の1952年5月20日に、近くに住んでいた永井荷風さんが同館で映画『アンナ・カレニナ』を見たそうです(ご本人が日記に綴っています)。
1923年(大正12年)、国鉄(現在のJR東日本)総武本線の市川駅北口すぐの千葉街道沿い、千葉県東葛飾郡市川町大字三本松に三松館として開館した。同館は、同町内(同市内)最初の映画常設館であり、当初の営業時間は午後1時-10時であった。
(中略)
同館の正面には、同地の大字の由来になり「市川名所」に数えられた「三本松」があり、1本の根から3本の松が生えていた(1958年伐採)。同館の東隣りには1920年(大正9年)に開設された「市川マーケット」(2008年解体)があり、商店が栄えていた。
出所:Wikipedia、「市川オークラ劇場」(2022年12月30日閲覧)太字は筆者
「三本松」の名は耳にしたことがある人も多いかもしれませんね。長嶋茂雄選手がプロデビューした1958年(昭和33年)に伐採されたということなので、実物を見た人は少ないかもしれませんが。
映画館に近接して存在していた三本松と市川マーケットについて、詳しく書かれたWebページがありますので、紹介します。ありし日の市川マーケットの様子を、豊富な写真と文章からうかがうことができます。
三本松と市川マーケット
http://poesie.web.fc2.com/3matu.html
春日会館~市川松竹館~市川東宝映画劇場
②市川市新田5丁目1番3号
市川市で最初に開館した映画館は、①市川駅の北口、千葉街道(現在の国道14号線)沿いの三松館で、2番目にできたのは、後掲する、③市川橋のたもとで開業した市川館(後に本八幡駅北口のハタビルに移転)でした。これらに次いで3番目に開業したのが、現在の新田5丁目、新田春日神社の東にあった春日会館です。
- 1929年 春日会館(春日館)として開館
- 1931年 市川松竹館と改称
- 1954年 市川東宝映画劇場と改称
- 1969年 閉館
情報出所:Wikipedia、「市川東宝映画劇場」(2022年12月30日閲覧)
本稿で紹介する他の2つの映画館と比べると、営業期間は短いのですが、それでも40年間というのは長い期間ですね。かつて40年間も映画を上映し続けた映画館がここにあったのだということを、新田春日神社にお参りに行くときや、千葉街道沿いをランニングしていて通り過ぎるときなどに、思い出す人もいることでしょう。
市川館~ハタシネマ(八幡シネマ1・2、八幡文化劇場、八幡スカラ座)
③市川3丁目23番1号
③’市川市八幡2丁目16番6号
当初、③市川橋のたもとに市川館として開業し、後に③’本八幡駅北口に移転、その後、2022年現在も存在するハタビルの建設に伴い、4スクリーンから成るハタシネマとなりました。
- 1924年前後 市川館として開館
- 1940年前後 簱栄吉(簱興行)が経営権を取得
- 1949年 同館を閉館、移転して八幡映画劇場を開館
- 1969年 休館・取壊し
- 1970年 同地に八幡ハタビルを新築、改めて4館開館
- 2001年9月30日 八幡シネマ1・2を閉館
- 2001年10月21日 八幡文化劇場、八幡スカラ座を閉館
情報出所:Wikipedia、「本八幡ハタシネマ」(2022年12月30日閲覧)
1984年に、『ドラえもん のび太の魔界大冒険』(同時上映『忍者ハットリくん+パーマン 超能力ウォーズ』)を観た記憶があります。もしかしたら、1985年の『ドラえもん のび太の宇宙小戦争』(同時上映『忍者ハットリくん+パーマン 忍者怪獣ジッポウVSミラクル卵』)だったかもしれません。
29年前の今頃、1993年の12月には、『ジュラシックパーク』をハタシネマで観ました。
ハタシネマとしての営業開始は1970年ですが、前身の八幡映画劇場、その前の市川館の時代を含めると、80年弱もの長い間、営業していたことになります。本八幡駅前にある白亜の神殿の如きハタビルは現存しますが、映画館がなくなって20年以上が経過しているのですね。
ハタシネマが閉館する時期と前後して、市川市内では、1999年4月1日にワーナー・マイカル・シネマズ市川妙典(当時)が妙典サティ(当時)に、1999年10月にヴァージンシネマズ市川コルトンプラザ(当時)が、ニッケコルトンプラザにオープンしています。
20世紀末から21世紀初頭にかけて、新たな映画館としてシネコンが登場し、入れ替わるように、従来型の映画館が閉館しました。世紀の変わり目の市川市で、業態の盛衰が鮮明に現れていたのですね。
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移り変わる街並み~記憶を消さないために
かつて市川の名所とされた三本松は、今はもうありませんが、石碑が残されています。ありし日の姿を思い出すきっかけになるでしょう。他方、今日紹介した、かつて存在した映画館については、どうでしょうか。ここに映画館があったのだ!ということを現代人、未来人に伝える案内板を設置しても良いのではないかと思います。
ちなみに、大洲防災公園がある場所には、かつて競馬場がありました。このことは公園に設置されている案内板で紹介されています。この地を訪れる人に市川市の歴史を伝える役割を、案内板が果たしています。
葛飾八幡宮には、近くに住んでいた昭和の大スター、岡晴夫さんを称える石碑があります。
街並みは変わり続けます。ピンポイントで少しずつ変化する場合もあれば、都市計画における駅前再開発のように、土地を「面」で捉えて、ある期間の中でスクラップ&ビルドが大々的に行われることにより、広範囲で大きく変化することもあります。
ハタビルのある本八幡駅北口で(ハタビルは対象に含まれていませんが)、再開発が計画されています。パティオはどうなるのか。八幡一番街はどうなってしまうのか。サイゼリヤ1号店跡地は?スナックが軒を連ねる独特な景観は?
本八幡駅北口再開発について綴ったコラムを先日公開しました。是非、読んでいただきたい内容です。
住所としては船橋市になりますが、市川市にも程近い下総中山駅の近くにもかつては映画館がありました。
Deepランド
宝石になった街灯たちを辿ったら昭和の映画館に出逢った。下総中山駅裏路地 -市川⑻
https://deepland.blog/nakayama-eigakan/
普段、下総中山駅の近くを散策することが多い私も、かつて映画館がその界隈にあったことは、この記事を読むまで知りませんでした。かつてそこにあったものを後世に伝える努力を私たちは怠りすぎなのかもしれません。歴史を語り継ぐこと、記録を残すこと(議事録をすぐに破棄することなどは言語道断ですね)の重要性を改めて強調し、筆をおこうと思います。
皆様、本年もおせわになりました!良いお年を!