【動画】「つなごう、記憶のバトン《市川市に住む戦争体験者の証言インタビュー》」公開中です

コラム

冒頭の画像は市川市のYouTube公式チャンネルの画面キャプチャです(2025年8月9日現在)。

市川市は、市内で戦争を実際に経験した方にインタビューを行い、動画を記録し、公開しました。それが、シリーズ「つなごう、記憶のバトン《市川市に住む戦争体験者の証言インタビュー》」です。
https://youtube.com/playlist?list=PLnV5Q9Byd72pMNRwAFpvOd29I1cLuHwEV&si=1m3ufJ5mVZgVx-U8

このインタビュー動画の概要は以下の通りです。

太平洋戦争の終結から、令和7(2025)年8月で80年を迎えます。
今回市川市は、市内で80年前に実際に起きた戦争被害を後世へ伝えるため、市川市出身の6名の方々へご自身が実際に経験した空襲被害などの戦争体験を伺い、インタビュー動画として記録しました。

総務省の人口統計では、戦後生まれが日本の人口の約9割となり、「戦争を知らない世代」が大半を占めているのが現状です。
惨禍の記憶が薄れつつある令和の今、市川市内での戦争体験者の方々の証言「生の声」を伝え、今一度平和について考えます。

皆さんも戦後80年を機に、地元の戦争被害を知り、平和について考えてみませんか。

出所:市川市YouTube公式チャンネル https://youtube.com/playlist?list=PLnV5Q9Byd72pMNRwAFpvOd29I1cLuHwEV&si=JUfRxAvE-9qNO-VK 2025年8月9日閲覧

2025年8月9日現在、6名のインタビュー動画が公開されています。

国府台(根本地区)出身の平井宏治さん(84歳)
「国府台の陸軍の話」
「根本地区で遭った空襲や機銃掃射」
「戦後の混乱期の様子」など

須和田出身の田中隆三さん(94歳)
「須和田で起きた空襲被害」
「学徒動員の中山競馬場で遭った機銃掃射」など

本行徳出身の田中愛子さん(86歳)
「行徳に落ちた爆弾の被害」
「戦時中の行徳のまちの様子」
「行徳の戦後の混乱期の様子」など

押切で戦争を体験された臼倉道代さん(92歳)
「現在の市川市文化会館の場所で機銃掃射に遭った話」
「東京大空襲の東京や南行徳の様子」
「クロマツの松脂を採った話」など

八幡出身の松丸喜美子さん(99歳)
「戦時中の食糧難」
「空襲の恐ろしさ」など

欠真間出身の矢島重信さん(98歳)
「空襲の恐ろしさ」
「戦時中の生活の苦しみ」など

こちら、国府台地区(根本)出身の平井宏治さんの体験談の一部は、私が司会として参加した5月24日のイヴェント内で直接お聞きしました。戦時下の空腹のつらさ、防空壕の中の最悪な環境、東京大空襲の時に見た江戸川の向こうの燃える様子など、その時に平井さんが見たり感じたことが、生々しく迫ってきました。

ぜひ、動画をご覧いただきたいです。

また、本日(2025年8月9日)は、米軍により長崎に原爆が投下されて80年目です。

地球上で人を殺すために使用された2回目にして最後の核兵器が、80年前の今日、11時02分に長崎に投下された原子爆弾でした。

3日前の8月6日、米軍によって広島に原爆が投下されてから80年目の日に、この記事を書きました。

市川市は41年前の1984年11月に、「核兵器廃絶平和都市宣言」を発しています。市川市の南大野2丁目には、「核兵器廃絶平和都市」であることを高らかに歌った碑がそびえています。

上の記事でも紹介しているのですが、半年前、2025年2月13日の市川市の田中甲市長は、今年度の施政方針の説明の中で以下のように語っていました。

また、11月には、核兵器廃絶平和都市宣言を行っている関東の34の自治体の市長にお声がけし意見交換の場を設け、地方自治体が率先して核兵器禁止条約の早期批准など、核兵器の廃絶と恒久平和の実現に向けた訴えを発信してまいります。

出所:市川市公式ウェブサイト 令和7年2月市川市議会定例会(2025年2月13日)https://www.city.ichikawa.lg.jp/cou01/kaigiroku0000490953.html ※田中甲市長による「令和7年度施政方針」の説明

これまでに市川市を含む多くの自治体が独自に核兵器廃絶を謳っています。田中市長は関東地方の首長に呼びかけて、核兵器廃絶の実現に向けて行動していこうとしているわけですね。市民として市長のこの強い気持ちと行動を起こしていることに(もちろん市の多くの職員の皆様、草の根で核兵器廃絶と平和実現のために活動してきた市民の皆様のバックアップなどがあってのことだと認識しています)敬意を表します。

日本は戦争における唯一の被爆国でありながら、核兵器禁止条約に批准していません。

 広島の被爆者団体の代表者らは6日、広島市のホテルで石破茂首相と面会し「核兵器禁止条約は核軍縮を進める実効性のある唯一の場」として、条約に賛同を表明し参加するよう強く求めた。石破首相は条約には触れず「原爆の恐ろしさの記憶を継承していく使命はわれわれの義務だ」と述べるにとどめた。

出所:東京新聞「核兵器禁止条約に賛同表明を 広島の被爆者団体、首相と面会」(更新日:2025年8月6日、閲覧日:2025年8月9日)https://www.tokyo-np.co.jp/article/426648

上の文は3日目の出来事を報じた記事からの引用です。

核兵器の恐ろしさを語り継ぎ継承することが義務だと石破茂氏は語っていますが、核兵器禁止条約には言及せず、というのが歯がゆいですね、実に。

80年前の今日、米軍は長崎に原子爆弾を投下しました。断じて許されることではありません。2度と人類は核兵器を使用してはなりません。昨秋、被団協がノーベル平和賞を受賞しました。一刻も早く日本は核兵器禁止条約を批准し、核兵器の根絶と恒久平和の実現に向け、世界をリードしていくべきだと思います。

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執筆日:2025年8月9日
公開日:2025年8月9日
執筆者:ノスタルジー鈴木