今回、漫遊するローカルメディアは、明里さんが綴るブログ『Deepランド 大人の夢の国へようこそ!』です※1。
Deepランド 大人の夢の国へようこそ!
https://deepland.blog/
是非、アクセスして、このブログの世界「大人の夢の国」の住人になってください。――以上!
とだけ書いて済ませてしまいくなるほど、私による説明など必要としない、魅力に満ちた奥深い世界が『Deepランド』なのです。ここから先は、文字通り蛇足となることを予め宣言した上で、この白紙の上に筆を走らせてまいりましょう。しばし、お付き合いください。
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『Deepランド』には、主に千葉県内を対象として、明里さんが実際に足を運んで漫遊した街の、気になるスポットのことが綴られており、多くの写真が掲載されています。
明里さんがどのようなものに惹かれるのか、というと、新しいものよりも、古いものに、キラキラしているものよりも、かつてキラキラしていたものの今はもう輝きを失ってしまったものに、陽よりも陰に、光より陰に、多くの人が言及するものだけでなく、忘れ去られそうになっているものにも、といったところでしょうか。これは読者である私が感じたことなので、正確なことは、2020年6月のブログ開設時に書かれた、『Deepランド』とは何かを丁寧に説明したページを読んでいただくのがよいでしょう。
https://deepland.blog/deepland/
毎日1本の記事を公開するという驚異的なペースで執筆を続ける明里さん(ヌ・アント!ブログ開設後2年弱で、1,100本以上の記事を書き上げました!)の筆力は大変高く、読んでいると、明里さんと視点を共有しながら、その街を漫遊しているかのような気分になります。
前述の通り、このブログの各記事は、主に千葉県内の様々な街を訪れて遂行した街歩記(漫遊記)となっています。
対象を市川市に限定しても、2022年5月6日時点で59本もの記事があります。
https://deepland.blog/deepland-chiba/#outline__7
市川市内の商店街に関する記事もたくさんあります。
https://deepland.blog/chiba-syoutengai/#outline__3
今回、『ローカルメディア漫遊記』を書くにあたって、『Deepランド』の紹介したい記事をピックアップしたのですが、かなりの本数にのぼったので、ここでは今日の私の気分でチョイスした数本の記事を紹介することにします。
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「鬼高商工会」ニッケコルトンプラザ(日本毛織場跡地)の横に並ぶ花型街灯
https://deepland.blog/itikawa-nikke/
「散歩中、あるいは通勤通学の途上、見上げることはありますか?」
「空を?えぇ、たまに見ますよ。形を変えて流れていく雲を眺めたりして」
「いや、空じゃなくて、街灯ですよ」
「街灯を?いや、ありませんね」
という会話が、今日も、コルトンプラザの青空テラスで休憩する人々の間で交わされているかも知れません。
この記事では、市川市鬼高の地を訪れた明里さんが注目した「花型街灯」なるものを取り上げています。コルトンプラザ内のレストランで食事をしたレポートを綴るのではなく、コルトンの敷地に接したストリート沿いの街灯について熱く語るのが明里さんなのです。
この写真は、ノスタルジー鈴木が昨日(2022年5月5日)に撮影したものです。この街灯の下は何度も歩いており、街灯のオレンジ色の部分が良いアクセントで、目につくなとは思っていましたが、形状に注目したことはありまでんでした。しかし、『Deepランド』の記事を読み、明里’s eye を身に付けた私には、立ち並ぶこの街灯が、鬼高の街に灯る花に見えるのです。
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宝石になった街灯たちを辿ったら昭和の映画館に出逢った。下総中山駅裏路地 -市川⑻?
https://deepland.blog/nakayama-eigakan/
街灯つながりで、こちらの記事も紹介しましょう。正確には船橋市内のスポットではありますが、このあたりは市川市民の私のような人もたくさん歩いており、心理的には船橋市であると同時に市川市でもある、いわば、心理的共有地※2です。
今回の記事タイトル『「Deepランド」で宝石さがし』は、この記事のタイトルと文章からインスピレイションを受けて名付けました。
宝石になった街灯。
今も昔と変わらず、街を照らす灯り。
変化の速い時代、置いて行かれないように焦る気持ちがないといえばウソになる、そんな人もいると思いますが、昔からそこにあり、今や宝石となっているこのような街灯を見上げれば、周りに流されるよりも、自分の中にある、くすぶる熱い光※3を信じるのも悪くないと思うかもしれません。
明里さんは、JR総武線の下総中山駅の近くを歩き、昔※4の住宅地図を眺めている時、昔、このあたりには映画館があったことに気づきます※5。『Deepランド』でそのことを知った私も、かつて「中山映画劇場」があったのはこのあたりだろう、という場所を実際に訪れました。
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「中山参道商店会」駅から中山法華経寺へと向かう参道。レトロな看板建築「湯浅写真館」も! -中山⑶
https://deepland.blog/nakayamasandou-syoutengai/
続いて紹介するこちらの記事で紹介されているのは、上の記事で訪れた場所にもほど近い、下総中山駅から中山法華経寺に向かう参道です。下総中山駅に近いと言っても過言ではない、市川市内でも東寄りの土地に住む私にとっては、馴染み深い場所です。しかし、私にとって真間山弘法寺や行徳の徳願寺が心理的に遠い存在であるのと同じように、市川市民でも中山法華経寺には縁がないという人は少なくないでしょう。
是非、1つ上の記事とこの記事を読んだ上で、この地を訪れて、素敵な看板建築を見つけてください。そして、中山法華経寺の手前から坂の下の街※6を眺めてみてください。
この記事では、2002年に作成された、このエリアの地図が紹介されていますが、21世紀に入ってからの約20年で街が大きく変化したという事実にショックを受ける様子も記されています。
過日、私は、国府台共栄会にかつて存在した商店などを、当時の記憶を辿りながら地図上に書き込んでいくワークショップに立ち会いました※7。街が姿を変えるのは宿命かもしれませんが、個人の内にある記憶を、外に出し、形にし、共有することで、その土地の記憶を歴史として残すことができるはずです。ワークショップを通じて、そんなことを思いました。明里さんは、街角にひっそりと佇む閉店した店舗に残る、営業していた当時の名残から、往年の繁栄ぶりや、人々の営みに想いを馳せ、文章に綴る、というようなことを、日々、丁寧にしています。これもまた、その土地の記憶を歴史として残すことだと言えるでしょう。
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「新川通り」”書きかえ”ファミコンクラブの看板が印象的だった商店街
https://deepland.blog/itikawa-sinkawa/
この記事で取り上げられている「ファミコンクラブ」の看板があった建物がある場所も、市川市ではなく、新川通りを挟んで、船橋市なのですが、私にとっては心理的共有地です。
かつて、ファミコンにはディスクシステム(https://www.nintendo.co.jp/nom/0408/what/)という、ゲームソフトのディスク(記憶媒体)の内容を書き換えれば別のゲームを遊ぶことができる、というものがありました。この閉店してしまった店舗では、看板でゲームの書き換えができることを謳っていたのですね。
2018年頃まで、新川通りのこの店舗は営業していました。1度も入ったことはありませんでしたが、営業している様子は覚えています。閉店後もしばらくは、この記事の写真にあるような状態で残っていましたが、2021年に無人の冷凍餃子販売店舗に生まれ変わりました。1度入っておけばよかったです。
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「市川市中央公民館」新潟県の小熊邸を移築した公民館。明治天皇も宿泊したという邸宅 -本八幡
https://deepland.blog/itikawa-kouminkan/
この記事では、JR本八幡駅の北口から葛飾八幡宮までの道のりを紹介しており、中でも八幡宮の敷地にあった「市川市中央公民館」の建物を重点的に扱っています。この建物は、元は明治元年に新潟で建てられた邸宅で、昭和27年に市川市に移設され、公民館として利用されてきたものです。
明里さんが訪問したのが2020年11月のことで、その1年後の2021年11月末に、文化財でもあったこの建物は、老朽化のため、取り壊されてしまいました。
文化的に高い価値を持つ古い建築を、維持、保存するのは大変なことですが、失われたら二度と戻らない貴重な存在である、このような建築を、いかにして残すか、というテーマは、行政任せではなく、私たち市民もしっかり考え、能動的に関わるべきではないかとも思います。
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他にもたくさん紹介したい記事がありますが(例えば、「本八幡『八幡一番街』終戦後発達した歴史ある商店街。再開発前に」、「喫茶店『珈琲タンネ本店』。老舗で頂く”フルーツポンチパフェ”が涼しげ -市川⑶」など)、キリがないので※8、市川市及び心理的共有地に関する記事の紹介は終わりにします。
最後に、こちらの記事を紹介しましょう。
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番外編
【お知らせ】成田の旅館保存運動についてのご報告
https://deepland.blog/narita-ryokan-2/
この記事は、成田山新勝寺の参道にある木造3階建て旅館「大野屋旅館」が解体されてしまうことを知った明里さんが、どうにかして保存できないかと考え、実際に保存に向けて行動を起こしたことについて、経緯や想いを綴ったものです。
『源流vol.4 本八幡botさん(後編)』では、さらっと触れただけですが、私が本八幡botさんにインタビューをした際、二人で、明里さんが大野屋旅館の保管に向けて動いたことへの賛美をしたものでした。本当に素晴らしい行動だと思います。
明里さんが『Deepランド』を開設するきっかけは、船橋の国登録有形文化財である玉川旅館が取り壊されるというショックを受けたことでした。記事では、そのことにも言及されています。是非、読んでみてください。読むと、自分も何か動きたくなるような、そんな熱を感じと思います。
先ほど、私は、「文化的に高い価値を持つ古い建築を、維持、保存するのは大変なことですが、失われたら二度と戻らない貴重な存在である、このような建築を、いかにして残すか、というテーマは、行政任せではなく、私たち市民もしっかり考え、能動的に関わるべきではないかとも思います」と記しました。勢いで書いた文章なので、今、改めて、能動的に関わるべきかそうでないか、と自問すれば、「べき」というほど強いもの、強いられてするようなものではない、とは思います。が、保存や維持に前向きな考えを持つ人は、同じような考えの人同士で意見を交換し、どのような対応が可能なのか、保存が難しいのは何が障壁なのか、一般市民は関われないのか、といったことを日頃から整理しておき、いざというときに後悔のないように行動を起こせるように準備しておくことをお勧めします。
ちょうど今、フリースタイル市川では、2022年5月末で42年の歴史に幕を下ろして閉店する「ときわ書房本八幡店」さんに、感謝を伝えるとともに、素晴らしい書店が本八幡に存在したということをかたちとして残すために、本八幡botさんにもご協力いただいて、皆さんから広くメッセージを集めているところです。明里さんの大野屋旅館保存運動に感化されて、こういう活動をしているとも言えます。
この春、明里さんは大学を卒業され、新社会人として働き始めました。とても忙しいと思いますが、どうか無理のない範囲で、大好きな世界『Deepランド』を、もっともっと輝かせてください!
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〈注釈〉
※1:ブログ『Deepランド』および、筆者である明里さんについては、少し前に公開した『源流 vol.4 本八幡botさん(後編)』の本文中および注釈20で言及していました。
※2:心理的共有地とは、私(ノスタルジー鈴木)が勝手に使っている語で、市境に近い場所で、どちらの行政区に含まれるか曖昧になりがちな場所のことを指しています。心理的共有地の広さや、どこを指すのかには、当然ながら個人差があります。
※3:藤井風さんの『燃えよ』という曲の歌詞にある一節、「本当は君の中にくずぶる熱い光」が念頭にあります。
※4:昭和36年の住宅地図を見ています。昭和36年!王貞治選手がプロ入り3年目で、ホームランを13本打った年、初のホームラン王を獲得する前年です。同年の長嶋茂雄選手の成績(セ・リーグ順位)は、打率、安打、二塁打、ホームラン、出塁率が1位、三塁打と打点が2位でした。
※5:『Deepランド』の記事で、かつて下総中山駅の近くに映画館が存在したことを知った私(ノスタルジー鈴木)は、ポッドキャスト !ka !ch!kawa (イカ市川)で、そのことを話しました。
※6:中山法華経寺の手前から、下総中山駅の方面を眺める時、尾崎豊さんの『坂の下に見えたあの街に』という曲を思い出すのは、私だけでしょうか。
※7:国府台共栄会にかつて存在した精肉屋「肉のこばやし」の建物をリノベーションし、ギャラリー兼アトリエ付きシェアハウス「アトリエ029」として再生するプロジェクト(フリースタイル市川は企画を担当)の一環で、近隣にお住まいの方をお招きしてワークショップを実施しました。私も参加しましたが、正確には、立ち会っておらず、オンラインでの参加でした。
※8:ここを書いている時、私の頭の中では、藤井風さんの『キリがないから』が再生されていました。