【コラム】向かい合って話をして分断を乗り越える

コラム

長野県上田市に、「のきした」という活動があります。

これは、雨風しのげる「のき」のように、困難に見舞われても、そこに行けば助かる、何とかしのげるという場所やつながりをつくったり、そのような役割を果たしている既存の「場」、「人」、「取り組み」を再発見することなどを通じて、街中まちじゅうを「のきした化」する取り組みで、コロナ禍に始まりました。
参照:「のきした」Webサイト https://nokiproject.webnode.jp/

「のきした」のメンバーが活動を通じて得た気付きが、雑誌『ソトコト』2022年3月号に掲載されていました。大変、示唆に富んだ内容だったので、紹介します。

「のきした」では、2020年から2021年にかけての年末年始に、寄付をしてもらって集まった食料を配布したり、駐車場で炊き出しをするという「おふるまい」を行いました
屋内では誰でも自由に話をしたり、書初めができたり、飛び入りで楽器演奏をすることもできるという、大規模なイベントでしたが、「のきした」の主要メンバーである元島 生 さんは、初日の状況を見て、つらい気持ちになったと言います。

「そそくさと来て食べ物を袋いっぱいに詰めて、声もかけずに去っていく人が多かったんです。助け合うどころか、つながらなくてもいい構造を強化してしまったような気がしました」

そこで考えたのは、「まずは話すこと」だった。

2日目からは、一人一人呼び止めて話をした。3日目には、振る舞う側、振る舞われる側という垣根をできるだけなくそうと、みんなで一緒に豚汁を食べた。

そこで見えてきたのは、今は困っている状態がたまたま可視化されただけで、困っている人――多くが社会から排除されていたり、人とのつながりがなかったり――は、ずっと昔から困っていたのだということだった。

あるホームレスの男性は、最初は険しい顔つきだったのが日数を経て優しい表情になっていき、自分の苦労話や得意なことの話をしてくれるようになった。そのときに、これは“出会い直し”で“つながり直し”なのだとわかった。分断された向こう側にいたホームレスだった人も、向かい合って話をした後は、“苦労人のおっちゃん”として見られるようになる、と。

出所:「みんながフラットな関係を築くまち。『のきした』という場づくり。」、『ソトコト』2022年3月号 ※太字は筆者による強調

「振る舞う側」と「振る舞われる側」。「支援する側」と「支援される側」。
「してあげる側」が上で、「してもらう側」が下、意図せずとも、そのような上下関係を「してもらう側」が意識してしまうことで、羞恥心を抱いたり、申し訳なさを感じてしまい、居心地が悪くなるとがあるように思います。

「おふるまい」では、立場に関係なく、皆で一緒に豚汁を食べ、向き合って話をすることで、互いにぐっと心理的な距離が近づき、分断を乗り越えることができました。

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「支援を受ける側」が抱いてしまうことのある羞恥心を、なるべく生じさせないようにするための方法について、過去にコラム「利用者・参加者の心的な障壁をなくすには?」で言及しています。

フードバンクの支援を受ける人が恥ずかしい想いをしなくて済むようにするための考え方を、再度紹介します。日本IBMの藤森慶太氏の発言です。

そもそも“フードロス”と“貧困”を紐づけるから支援を受ける側が恥ずかしくなるのではないのでしょうか?

例えばカヤックさんの『まちのもったいないマーケット』ではターゲットを限定せずに余った食べ物を提供する仕組みを作っています。ベーシックインカムにもつながりますが、まずは全員に配ることを行う。そうすると、フードロス/SDGsへの意識を持っている人と、本当に食べ物が必要な人がその場に集まってきます。

ターゲットを貧困層に限定するのではなく、門戸広く、とにかくみんなにあげる、という仕組みであれば、誰も恥ずかしい思いをすることなく食べ物を受け取ることができるようになるのではないか、と考えます。

出所「“モヤモヤ“を突破して「助け合うのは当たり前」の社会を作る グラミン、ベーシックインカム、起業家精神と制度のバランス」西村 真里子 2021.12.27  https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/68244 太字は筆者による強調

フードバンクの活動について言えば、食品のおすそわけである「フードパントリー」で、対象者を限定せず、希望者全員に食品を無償で提供するとなると、より多くの食品を確保しなければならない、という課題が生じます。とはいえ、上記、藤森氏の提案は、心理的な障壁をなくす上で、大変参考になります。

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立場の違いをなるべくつくらないことが、心の壁、分断をなくすためには有効で、手っ取り早い方法は、みんなで一緒に同じことをする――「のきした」の「おふるまい」の3日目でやったように、立場など関係なく、みんなで豚汁を食べたり、コジコジ※1たちのように、お茶を飲みながらお喋りをする――ということなのだと思います。

〈さくらももこさんの名作『コジコジ』キャラクター総出でわいわいおしゃべり。コジコジは「誰も見下げないし、誰も見上げない」、いわばスーパーフラットさん。これって今の私たちに足りないことかも!?〉『ブルータス』2021年9月1日号より

組織内、仲間内、チームメイト間でも、自分よりも明らかに貢献度が大きいと思われるメンバーに対して、申し訳なさや後ろめたさのような気持ちや、劣等感にも似た想いを抱き、関係がギクシャクしてしまうことや、組織に居づらくなってしまうこともありそうです。

しかし、立場は違えど、それぞれの役割を各自の持ち場でしっかり果たすことで、組織全体がうまく機能していくものです。そのことを、各自が認識して、互いを尊重し合える関係であることは、簡単ではありませんが、大切なことですね。

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漫画『鬼滅きめつやいば※2の主人公、竈門かまど炭治郎たんじろうは、鬼を討伐する役目を担う鬼殺隊きさつたいの隊士です。
同じく鬼殺隊に所属するものの、鬼と戦うことができなくなってしまい、傷ついた隊士のリハビリ訓練などに従事している隊士、神崎アオイは、大怪我を追った炭治郎たちの体力回復に力を貸します。

炭治郎がアオイに対して、お世話になったことへの感謝を伝えたところ、アオイは、「お礼など結構です」と言います。そして、アオイは、これまで明かしていなかった自分の過去と、抱き続けている後ろめたさのような感情を炭治郎に伝えます。

命の危険を顧みず、鬼と戦い続ける炭治郎たちと比べたら、自分等大したことは(してい)ない。

しかし、炭治郎は、「そんなの関係ないよ」と返します。「立場の違いなんて関係ないよ」という意味でしょう。それぞれの役割をしっかりと果たしているのだから、誇りをもって良いよ、と言わんばかりです。炭治郎の怪我が癒え、再び戦いに行くことができるのは、アオイたちの献身的なサポートがあったからであり、互いに互いを必要としているのですね。

吾峠呼世晴『鬼滅の刃』7巻、53話「君は」

私たちが手掛けるフードバンク事業を取り上げてみても、様々な立場のメンバーが、色々な役割を果たしています。あの人たちは主力として活躍しているけれど、自分はあまり貢献できていない、というような気持ちになるメンバーもいるかもしれません。しかし、それぞれの持ち場で役割を果たしているからこそ、事業が成り立っています。

本稿で繰り返し語っていることですが、立場の違いなど関係なく、上も下もないのだということを、体感としてわかるためには、向き合って話をする、食事をともにする、というようなことが、効果的ですね。

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というわけで、本稿では、雑誌掲載記事や漫画の印象的な言葉を引用しながら、人と人を分断しているものを取り除くために、どうすればよいかを考える際のヒントになりそうなことを、ポロポロと記しました。

コロナ禍の今、飲食店で集まって宴を開くということはほぼ不可能なので(早く宴を開きたいものですね!)、例えば江戸川の堤防などの「水辺」※3に椅子を持ち出して、座りながら語らう、いわゆる「チェアリング」※4を楽しむこと、これが立場の違いを、分断を乗り越えるための、かなり良い方法だと断言します!

昨日(2022年3月5日)、江戸川の堤防の河津桜の並木がある付近で、フリースタイル市川のメンバーであり、自他ともに認める「水回り担当」のサワディ※6が主催したチェアリングには、フリスタのメンバーズが多数参加して、立場の違いなど無関係に、喋りまくったそうですよ。むろん、ウイルス感染対策を講じた上で。互いの理解が一層深まり、相互に尊重し合える良い関係が築けたことでしょう。残念ながら、私※7は参加できませんでしたが…。

〈注釈〉
※1:コジコジは、さくらももこ氏の漫画『コジコジ』の主人公で、メルヘンの国に住む生物。年齢や性別は不明。とてもかわいい!

※2:『鬼滅の刃』は、吾峠ごとうげ呼世晴こよはる氏による漫画。大正時代を舞台に、人を食う鬼を征伐するために戦う鬼殺隊の隊士である竈門炭治郎の成長と活躍を描いた大ヒット作。
※3:水辺を楽しむことを、「ミズベリング(MIZBERING)」と称することがあります。「ミズベリング(MIZBERING)」とは、「水辺+リング(輪)、「水辺+R(リノベーション)+ING(進行形)」 というように、水辺に新たな意味をかけ合わせた造語です。
※4:「チェアリング」とは、「ホームセンターなどで安く手に入るアウトドア用の折りたたみ椅子ひとつを持って外に出て、好きな場所に置き、そこで酒を飲むという行為」です。(出所:酒の穴※5「椅子さえあればどこでも酒場『チェアリング』とは」、『デイリーポータルZ』2018.4.26 https://dailyportalz.jp/kiji/180426202710
5:「酒の穴」とは、パリッコ氏とスズキナオ氏から成るユニットで、日常的な生活の中にぽっかりと現れる「今ここで乾杯できたらどんなに幸せだろう」と思うような場を探求しています。
※6:サワディこと澤田友宏さんは、江戸川里見公園エリアで水辺を楽しみ、水辺を清潔に保つべく、「MIZBERING EDOGAWA さとみ」を立ち上げ、活動中です。毎年、河津桜の季節に、江戸川堤防で開催される「水辺でチェアリング」を主催しています。
※7:本稿の筆者である、フリースタイル市川のメンバー、ノスタルジー鈴木です。