Keijiさん(TITAN GRAPHICS)
市川市内で活動をする人物にインタビューをして、その人物の活動の原点となるような「生き方」や「価値観」にスポットを当て、共感することで想いを繋げる企画「源流」。
第二回目は私たちフリースタイル市川のシンボルフラッグのイラストを描いてくれた、イラストレーターのKeijiさんにインタビューをいたしました。
このフラッグをよく見ると、各メンバーの特徴が捉えられているだけでなく「ストーリー」や「ワクワク感」が伝わってきて、ポップカルチャーとしてのイラストが持つパワーをとても感じます。いったいどんな勉強や経験をしたら、影響力を持ったプロのイラストレーターになれるのか?そんな疑問から彼の源流を探っていきました。
イラストレーター Keiji 年齢非公開
https://www.studio-bubo.com/
https://twitter.com/titan_g_bubo
―――本日は宜しくお願いします。まず初めにKeijiさんの幼少期についてお聞きします。3歳頃から市川市にお住まいとのことですが、どんな幼少時代を過ごしたんですか?
アメコミなどのアメリカンカルチャーや、日本のドラゴンボール、キン肉マンなどの影響も受け、小学校時代は学級新聞などに4コママンガのイラストや写し絵を描くのが好きな少年だったと思います。
もちろん野山を駆け回ったり、サッカーをしたり、普通に多くの友達とも遊んでいましたが、好きで描いていたマンガやイラストをたまたま仲間に見せたら、「スゲー」とか「上手い!」とか言われて調子に乗りましたね。あ、これで友達を喜ばすことができるんだ!と、そこからは結構描くようになったのかな。今でも常に誰かを楽しませたいと思い、下の作品(4コマ漫画)はTwitterで不定期に公開しています。
―――アメコミや日本の漫画からの影響が大きかったと。では青春時代はどんな青年だったのですか?また、当時将来の進路についてはどんな風に考えていたのですか?
高校生になってからはスケボーや音楽バンドなど海外のカルチャーに多大な影響を受けていました。スケボーのデッキデザインやCDジャケットのイラストを見て、自分でも見よう見まねで描いていましたが、遊びで描く程度で仕事にしようとは考えていませんでしたね。
高校卒業の時期になり、将来の進路を考えないといけない時期になっても、好きなイラストを仕事に結びつけるイメージが湧かず、周囲は就職活動をする中、新宿御苑でぼーっと空を眺めて寝ていることもありました。とにかく遊ぶこと・楽しむことの延長にイラストがあった感じです。
―――楽しいことを仕事に結びつけるのは、確かに10代では難しいですよね。それがイラストのような個性を前面に出すものだと尚更かもしれません。では卒業後はどんな20代を過ごされたのですか?
高校を出てからはアメリカントイのおもちゃ屋とか雑貨屋のバイトをしていました。
最初のおもちゃ屋でたまたま後の映像監督(ミュージックビデオなど)の友人と出会い、そこから現在まで繋がる多くの映像関係の人たちと人脈ができたんです。
また2番目の雑貨屋では、現在ゴスペル歌手として活動している女性と出会い、彼女の紹介で原宿の洋服屋も手伝いました。もちろんファッションにも興味があったし、カッコいいと思えることを追いかけた結果です。そんな環境ですから自然とTシャツなどのイラストやファッションのデザインに携わることになりましたね。
様々な人脈を構築することになったことが今の自分にとって大きかったと思います。好きなことをやり続けていたら、偶然にも似たような感性を持った人間が周りに集まってきた感じです。
―――プロイラストレーターとしての本格的デビューは?
30代に差し掛かる頃、次のカルチャーに挑戦してみたい思いが溢れ出して、当時好きだったゲームのフィールドで仕事をしてみようと制作会社に就職をしてみました。
そこで様々な体験をし、今までとはまた違う業界の人たちとの出会いがあり、それらも今の自分にとって大きな出来事だったと思います。ここでの繋がりが出来たので、今でもゲーム関連のイラストのオファーを頂くことが多いです。そしてプロジェクトの契約更新のタイミングで思い切ってフリーになりました。また違うこともしてみたいと思って。
その後モーショングラファーの友人と会社を興すのですが、そこで絵コンテをたくさん描くようになり、より映像関連の仕事が増えるきっかけとなりました。その後会社から抜けて完全なるフリーランスとしてデビューしたわけです。
(*モーショングラフィックスとはロゴやイラスト、文字、図形、写真などに動きや音を加えて動画にしたもののことを言います。)
―――つまり楽しみを追及しながら新しいフィールドに挑戦し、様々な体験や多くの人との出会いがあってプロになっていったと。過去の経験や繋がりで特に重要だと思われるもの、そしてKeijiさんのコミュニケーションの方法について教えてください。
自分の好きな「描く」というアクションを様々な業種で繋いできたことが、今の自分の糧となっていることは間違いなく、また映像監督との繋がりが特に大きかったんだと思います。収入面では絵コンテ制作の仕事で随分助けられましたから。僕が重宝された理由は、監督との打ち合わせの中で会話の聞き取りをベースに絵コンテを描くのですが、僕はそれまでに趣味で多くの映画を観ていたのと、前職で映像関連の仕事をしていたので、技術的なアングルやカット割りを知っているイラストレーターだった。つまり今までの興味・経験・人脈がそこでうまく繋がったわけです。
また、ある時期から食べていけるか?という不安より、自分自身はどうしていきたいんだ?と模索する自分に変わってきましたね。そんなに八方美人なほうではないと思いますが、あちこちから仕事の依頼が来るということは絵を描くことそのものが僕のコミュニケーションツールの一つとなっていると思います。
―――ズバリ聞きますが、Keijiさんにとっての「働く」とは?
まず「遊ぶ」ということをとにかく大切にしています。収入のためだけに働き過ぎると遊ぶ時間がなくなる。しかし遊びすぎると収入がなくなる。この矛盾って子供でも考えることですよね?だったら遊びというか、バランス良く自分が楽しめることを仕事にしてしまえば一石二鳥に人生を楽しめるのでは?と思います。高収入を求め過ぎなければ、多くの人は自分の好きなやりたい仕事ができるんじゃないかな?
楽しく稼ぐ、そんなノリに寛容な社会であってもいいですよね。今の時代、昔に比べてイラスト業も市民権を得たとは言え「食っていける仕事」として世間一般では認識されていません。それでも僕は子育てしながらなんとか生計を立てている。だから今の子供達には、自分の武器を見つけて戦っていって欲しい。見つかった時はパラダイスに感じるかもしれないと思います。
―――クリエイターとして普段から意識してやっていることはありますか?
映画を常に流し続けています。映画は視覚聴覚を一番刺激してくれると思っていますし、観ることで様々な背景での擬似体験ができる。自分の作品の世界観を生み出したり、インスピレーションを受けるのに適していますね。
また、自分が10代の頃に受けていたカルチャーショックを今の若い人たちにも感じてもらいたいのですが、その為にはある程度入ってくる情報をコントロールすることも重要かな?と思っていて、自身でも実践しています。今はネットを検索しても絶望しか返ってこない情報過多の時代で、思考(妄想)を巡らせにくい世の中なのかもしれないですよね。どんな遊びをしようか?と考えたり、彼女とデートするときにどうしようか?とモヤモヤしたり(笑)。昔は今より不便な時代ながら、少ない情報の中での創意工夫がクリエイティビティを生んでいたように思うので、あえて情報から遠ざかってみるのも時には必要だと思います。僕の場合、本当はSNSなど多用したほうが商売的には良いのかもしれないのですが、意識的に情報を入れすぎないだけでなく、出し過ぎないようにも注意もしています。
―――感性を磨くためには足し算だけでなく引き算も必要なんですね。これからイラストレーターとしての活動やそれ以外の活動で何か企んでいることはありますか?
まず、市内の気が合うクリエイターと、カルチャー系のつながりを広げていきたいと思います。今回このインタビューを撮影しに来てくれたサンジョウヤスタカ君などはその筆頭で、彼のショップ(Sunstore市川市八幡4-5-6)にも僕の描いたステッカーなどを置いてもらっています。
また、縁があって妙典のコミュニティスペースであるgate.のシンボルデザインもやらせてもらいました。今後そんな面白い仲間が増えていったらいいなと思います。
あと、市川市内で立ち寄りやすいカルチャー基地的な場所を作って、そこに住みながら自分の好きな作品制作を、小さな子供たちや大人たちとやってみたい。自分が小さい頃から少しずつ実現した「ひとりひとりのクリエイティビティ」の可能性を広げていきたい。それとやっぱり「遊ぶ」ということを軸に、いつまでもカルチャーショックやインパクトを与え続けられるようなアーティストでいたいですね。
<編集後記>
インタビューを通して感じたことは、コワモテの見た目からは想像できないKeijiさんの暖かい人柄や、繊細さでした。あたかも何も考えず楽しんできた結果が今の生業となっているような口ぶりでしたが、実は思慮深く「丁寧に生きている」ことが言葉の端々から滲み出しているように思えました。
組織に雇われずに生きるということは周囲の人々との繋がりなくしてはできないことであり、また永遠にクリエイトし続けるという活動の中では自身の感性と市場のニーズの狭間で悩むことも多いのではないでしょうか?
そんな彼の活動の源となっているワードは「遊び」「カルチャー」「人脈」であり、それらを大切にし、自分に正直に生きているからこそインパクトのある作品が次々に生まれてくるのだと感じました。これからも市内に、日本に、世界に彼の作品が広がって行くことを期待したいと思います。
▼Titan graphics
https://www.studio-bubo.com/
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<インタビューと記事>
ファイヤー國友
カブ城谷
<写真>
サンジョウ ヤスタカ