【コラム】クリスマスに寄せて――平和、暴力、戦争、快適な暮らし、搾取、AI、スマホ、市川市、パレスチナ、イスラエル、ウクライナ、ロシア、コンゴ、ケニア…

コラム

「市川市基本構想」って何?という質問には、後で(あるいは稿を改めて、後日)答えるとして、まずはこの「市川市基本構想」なるものに、書かれている3つの文から、本稿を始めます。

 私たちは、「人間尊重」「自然との共生」「協働による創造」の3つを基本理念としてまちづくりを進めます。
 市川の今日までの発展は、先人たちの英知とたゆまぬ努力によって築き上げられてきたまちづくりの成果です。
 さらに、私たちは将来を見極め、世代を超えて、誰もが共感できる平和で豊かな社会をつくりたいと願います。

出所:「市川市基本構想」

この3文のうちの3つ目に、「平和で豊かな社会をつくりたいと願います」とありますが、ここでいう「社会」は、「市川市」のことでしょうか。「社会」を「市川市」に置き換えると、次のようになります。

 私たちは、「人間尊重」「自然との共生」「協働による創造」の3つを基本理念としてまちづくりを進めます。
 市川の今日までの発展は、先人たちの英知とたゆまぬ努力によって築き上げられてきたまちづくりの成果です。
 さらに、私たちは将来を見極め、世代を超えて、誰もが共感できる平和で豊かな市川市をつくりたいと願います。

出所:「市川市基本構想」を一部改変(「社会」を「市川市」に置換)

2つめの文で、市川市の過去に言及があるので、それを受けるかたちで綴られた3つ目の文が、市川市のあるべき姿、理想の姿に関する内容になるのは、文脈としては違和感のあるものではありません。

しかし、平和で豊かな市川市をつくりさえすれば、それでよいわけではありませんよね。きっと、誰もそんなことを望んでいないはずです。

市川市が平和で豊かになり、かつ、世界が平和で豊かになること、それを願うことは、間違っていません。正しい願いです。しかし、その難易度は極めて高いと思います。現在――本稿執筆時の2023年12月5日現在――、世界では戦争、紛争が起きており、私たちもそれに全くの無関係ではありませんよね。日本で製造された機械が、戦地で誰かを傷つけるために使われていたりするわけです。

それは武器に限りません。また、作り手の意図を外れて、戦争で使われることもあります。

以前、市川市のメーカーが製造した模型飛行機用のエンジンが、ウクライナ軍の偵察ドローンに軍事転用されていた、という報道に触れたことがあります。この企業はウクライナに輸出しておらず、エンジンは他国の代理店経由でウクライナに渡ったものと考えられています。なお、この企業の取締役の方は、平和ではない使途には断固反対すると述べていました。ちなみに、この企業のエンジンは、ロシア軍のドローンにも軍事転用されているということです。

戦争や紛争が起きている状況は、平和ではありません。しかし、それらがないからといって、必ずしも平和というわけではありません。ヨハン・ガルトゥングさんによれば、平和の反対は暴力です。そして、暴力には、

  1. 直接的暴力
  2. 構造的暴力
  3. 文化的暴力

があるといいます。

平和研究の代表的な研究者であるヨハン・ガルトゥングは、平和を暴力と対置させ、直接的暴力、構造的暴力、文化的暴力という3つのタイプの暴力を提示します。
簡単に述べますと、直接的暴力とは、相手の身体に直接に危害を加えたり、戦争において軍隊が敵の兵士を殺傷したりすることなどです。 これに対して、誰が暴力を振るっているのか、暴力行為の主体は見えにくいけれども、人々、特に特定のグループの人々が生命を失ったり、大きな心的ダメージを受けたりする場合、そこに構造的暴力が存在するといいます。 たとえば多くの人々が貧困のために十分な医療を受けることができず、本来助かるはずの命を落とすというような状況が見られるような場合です。 また、100万人の夫が100万人の妻を殴るならばそれは直接的暴力ですが、100万人の夫が100万人の妻を無知・無学の状態に留めるならば、それは構造的暴力であると言ったりします。 最後に、文化的暴力とは、直接的暴力や構造的暴力を社会の道徳や伝統・慣習などにより許容し、正当化する考え方などを意味します。

出所:公益財団法人広島平和文化センター、大芝亮「“平和について思う” 平和研究と『平和文化』」『平和文化』(No.211, 令和5年3月号)https://www.pcf.city.hiroshima.jp/hpcf/heiwabunka/pcj211/contents/08.html、2023年10月24日閲覧

私が、構造的暴力として思い浮かべるのは、コンゴ民主共和国のケースです。地下から鉱物を掘り起こす子どもや、それを運んだり洗ってきれいする子どもが、過酷な労働による事故や病気に苦しでいる状況は、まさに構造的暴力です。

そこで採れた鉱物を使った製品を、私やあなたが使っている可能性がどれぐらいなのかはわかりませんが、きっと、私たちがスマートフォンなどを使って利便性を享受している、その背後では、このような構造的暴力が存在しているはずです。

また、次の事例も構造的な暴力に相当するかもしれません。ChatGPTで知られるOpenAI社が以前に開発した言語開発モデルは、学習に使用した素材に有害なコンテンツを含んでいたため、生成するテキストも有害なものになることがありました。こうしたことを避けるためには、ヘイトスピーチや性的虐待などのコンテンツを回避するAIが必要で、そのためにOpenAI社では、有害なコンテンツ(テキストの断片)に、ひたすらラベルを付与する仕事を、ケニア、ウガンダ、インドで(アウトソーシング先の企業が)雇った労働者に託したということです。こうした作業を長時間行うことで、心的ダメージを受けることは、想像に難くありません。

今挙げた例は、いずれも貧困層の人々が賃金を得るために仕事を選べない状況にある、その構造に起因するもので、社会の極端な歪みをそこに見ないわけにはいきませんよね。

スマートフォンでChatGPTを使って、面白い文章を生成して、ネタにすること。お互いが、アハハ!おかしいね、この文章、変だね!と笑い合うこと。あるいは、仕事で必要な文章をChatGPTに作成してもらうこと。それによって得た収入でスマートフォンを買い替えること。

その背後に、鉱山での過酷な肉体労働に従事し、健康を損なう、時には命を落とす児童がいるかもしれないこと。見たくもない不快極まりない情報を、私たちが見なくて済むようにするために、そうした情報だけに触れ続ける仕事をしている人がいること。

私と世界はつながっていて、暴力を生む構造を維持することに、私の今の生活が加担してしまっている可能性は小さくない、それどころか、かなり大きいかもしれません。

「平和で豊かな市川市」を、というよりも、「平和で豊かな社会」を、つくりたいですね。私にもあなたにも大きな力はないかもしれませんが、無力ではなく、微力があると思うので、その力を使って。

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今日(本稿の公開日)はクリスマスです。

John & Yoko Plastic Ono Band + Harlem Community Choir による「HAPPY XMAS」のMV(Music Video)、2003年に制作されたものを紹介します。
※ショッキングな映像を含むため、視聴するかどうかはご自身の判断でお願いします。

最後に、マハトマ・ガンジーの言葉が映し出されます。何という言葉か、是非(といっても、ショッキングな映像に耐えられると思う人は、ということですが)、映像を見て、音楽を聴いて、その言葉を確認してください。

メリークリスマス!

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執筆日 2023年12月5日(私がひとつ加齢する19日前)
公開日 2023年12月25日(私がひとつ加齢した1日後)