【コラム】フリースタイル市川の前に散る

コラム

今年に入り、市川市でまちづくりを実践するチーム、フリースタイル市川を結団して活動をしてきました。フリースタイル市川という名称が決まった2020年6月14日から数えると4か月程度、メンバーズがチームとして活動しようと考え始めた5月から数えると、5か月程度が過ぎた10月5日、特定非営利活動法人(NPO法人)として登記が完了しました。――と、小生が「むろん、ストリートで!」に綴ったのは、そう遠くない過去のことでした。

申し遅れました、今これを書いている小生は、主にマーケティングカルチャーの領域でフリースタイル市川の活動を推進している、ノスタルジー鈴木です。上述の「むろん、ストリートで!」というのは個人ブログです。フリースタイル市川のWebサイトはそれほど遠くない過去に、フリースタイル市川の音声コンテンツ「!ka !ch!kawa (イカ市川)」紹介記事を執筆しました。音声コンテンツの話題だけに、音声入力で。

さて、この記事のタイトルが「フリースタイル市川の前に散る」となっているのは何故かと言えば、文字通り、「フリースタイル市川の前に散った敗者たち」について綴ろうと考えているからに他なりません。NPO法人化を目指してチームを立ち上げるにあたり、チーム名をつけねばならないと考えた小生を含むメンバーズからは、多数の名称案が提出されました。それらを名称で昇順に並べたものを紹介します。その数は、ヌ・アント!256、いわゆる「ニゴロ」です!

それでは、名称案No.1~No.256まで、一気に紹介します!

というわけで、最終的にメンバーズに選ばれた「フリースタイル市川」を含む、全256案をご紹介しました。はっきり言って(はっきり言わなくても、モゴモゴと聞き取りづらい発し方をしたとしても同じことですが)、ナンセンスなものもかなり含まれています。真剣に名称を検討する過程ではノイズになりもします。

が、それでも良いというのが「フリースタイル市川」(という名に今は落ち着いた、そしてまさにこれらの案を前に検討していたその時は、この名称に決定するかどうかメンバーズの誰もわからなかった、強いて言えば、No.146「市川イカしたやつら」が、それまでの仮称として通りの良い名ではありました)の総意(のようなもの)だと小生は思っています。

実際、名称の検討は、悪い案(というものが仮にあったとして)を出すことが決定の妨げになるということはほとんどありません。あまりにも無関係でナンセンスなものばかりだったら、ノイズまみれの中で「これぞ!」という1つを探し当てなくてはならないので、良くないとは思いますが、この256案くらいであれば、決定を妨げるなどということはなく、むしろ誰かが何気なく投げ込んだ小石=案が、波紋を広げて、別の案を引き出すというような、とても面白い効果がありました。真剣に決める過程でも、いつも面白く感じられるのは「フリースタイル市川」の特徴だと思います。こうしてメンバーズから提出された多数の案が、何段階かの検討を経て、最終的に「フリースタイル市川」に決まったのでした。

いつ?

2020年6月14日に。

なお、何段階かを経て名称が確定した、と書きましたが、これら256案からメンバーが1人当たり5案ずつを選び、それらの中から更に5案に絞り込んだ後、最終決戦が行われたのでした。6月14日は日曜日だったので、いわば、「決戦は日曜日」ですね。最終決戦に挑んだ5人の選手の顔ぶれはこちらです!

結果的に、256案のうち255案は「フリースタイル市川の前に散る」ことになりました。表には出ない(ここで出していますが)、幻のチーム名ということになります。

ビートルズの『Yesterday』という曲名が決定する前の呼称、『Scrambled Eggs』が幻の曲名になったように。あるいは、ビートルズのアルバム『Everest』が、『Abbey Road』に名称変更されたために、幻のアルバム名になったように。

しかし、例えば、最初にNPOを立ち上げようという怪気炎を上げた代表理事が作ったプレゼン資料に刻まれていた仮のチーム名、「市川イカしたやつら」の「イカ」のインパクトは後にも残り、音声コンテンツ(Podcast)「!ka !ch!kawa(イカ市川)」としてイカされているわけですし、「リミックス市川」も、小生がフリースタイル市川の活動として企てている仕掛け、「市川リミックス」として近い将来具現化されるはずです。

ここで、やや煙突ですが、否、唐突ですが、「市川リミックス」とは何か、230字で説明します。
市川市は意外と広く、大町の「ありのみコース」や「動植物園」、「大慶園」に行ったことがない行徳の人がいたり、「中山法華経寺」には何度も行ったことがあるのに真間の「弘法寺」はに未踏で、「大門通り」を歩いたことがないという人がいたりするわけです。大町の人と行徳の人中山の人と真間の人が混ざり合う、元々市内にいる人たちが混ざり合って新しい何かがボワっと出るンじゃないか、というささやかな希望のようなものを胸に抱いている小生が放つ企画、それが、「市川リミックス」です。

長々と書き連ねてきましたが、名前がつけられると、途端に枠を与えられた感じがしますね、ということを書きたかったわけでもないのに、今唐突に書いてしまいました。
以前(20年以上前)、市川大野にあった古本屋で購入した高橋源一郎氏のエッセイか小説で、「名付けるということ」に関する文章を読んだことを思い出しましたが、その内容はほとんど忘れているので、再読したいと思った今は西暦2020年という、「未来」を思わせる時代であり、「未来」といえば、「市川みらいアトリエ」であり、ノーナリーヴスの素晴らしいアルバムの名でもあります。
そろそろこの記事が2300字に差し掛かろうとしているので(ので、ということもありませんが)、このあたりで筆をおきます。もちろんここで置くと言っている筆は架空のものであり、言っていると書いたものの、実際は言葉を発していないので、書いている、とするのが正確なのであり、と語を延々と繋いでいくと終わりが見えないので、この辺で終えるとします。

以上、ノスタルジー鈴木こと、鈴木雄高が記しました。

なお、当コラムは、「むろん、ストリートで!」からの転載(一部加筆修正)です。